やさしい雨の朝には




  遠くでしみ入るような音がする静かな朝は大体、嫌な日だ。
 まだ夜の空気が頬に触れているのを感じながら、オレは目を開けないで耳を澄ませた。風もないのか葉ずれの音もせず、まだ夜明けでないからか鳥の声もしない。
 ただかすれるように細い音が地面を跳ねるように叩いている。そして、吸い込んだ空気が少しだけ重い。
 雨、か…。
 せっかくグウェンダルから半日の休みをもらったのに、どうやら外は雨らしい。もうそれだけで結構憂鬱だ。雨だと朝練のランニングもキャッチボールもできない。カラダを動かすとなると、せいぜいストレッチくらいだ。
 以前、回廊を利用してランニングしたら、通る兵士やメイドさん達がみんないちいち立ち止まって頭を下げた。その上、オレが立ち去るまで動かない。通行の邪魔になるとグウェンダルに叱られた。やっぱり廊下は走っちゃダメだよな、うん。
 しかし、残念すぎる。今日はオレの誕生日にとコンラッドや眞魔国のみんなが造ってくれた球場で野球をしようと思っていたのにな。
 いつもコンラッドとキャッチボールをしていたりするけど、今日のは違う意味で楽しみだった。
 「ねぇ、ユーリ。やきゅうってなに?男なのー?」
 久しぶりに眞魔国に戻ってきていたグレタが昨日そんなことを言い出した。ヴォルフラムの影響で、知らない言葉には必ず「男なの?」とつける癖がついてるのは、親として止めさせなければ。
 「男じゃないよ。スポーツ…えぇっと…」
 横文字で話したって、通じないんだった。慌てると言葉がうまく出てこない。そんなオレを助けるようにコンラッドが近づいてかがみ込んだ。
 「ベースボールは道具を使う運動競技だよ、グレタ」
 そう言うとコンラッドは手に持っていたグローブをグレタに差し出した。
 「競技?こんなおっきな手が必要なの?」
 グローブ受け取ったグレタはしばらくグローブを眺めた後、頭の上へ帽子のように乗っけている。
 「他にも色んな道具を使うよ。興味がある?」
 グレタにコンラッドがそう聞くと笑顔が返ってきた。
 「うん!だってユーリ、いつも楽しそうなんだもん。グレタにも出来る?」
 「もちろん!じゃあ、明日やってみよう」
 グレタはグローブを頭に乗っけたまま、嬉しそうに両手を上げた。
 「「やったー!」」
 オレはグレタと一緒になってはしゃいだ。だって、グレタと野球ができる。このとき初めてオレと勝利に野球を教えた親父の気持ちが分かった。
 子どもと楽しいことを共有できるかもしれないって思ったら、嬉しいもんだ。もしかしたら、グレタともキャッチボールができるかもしれないし、眞魔国初の女性選手にだってなるかもしれない。
 せっかくの約束もこの天気で順延だ。オレは、重たい気持ちごと沈むようなため息とともに、枕に顔を埋めた。
 「起きましたか?まだ早いですよ」
 オレの髪をかき上げて、すぐ隣で寝ていたコンラッドがそんな風に声を掛けてくる。
 「ごめん、起こしちゃったか?」
 「いいえ。それより、ため息なんかついてどうしたんですか?」
 コンラッドの腕が優しくオレを抱き寄せた。
 「せっかくの休みなのに、雨だからさ」
 オレの言葉を聞いて、コンラッドが耳を澄ませる。
 「グレタと野球できると思ったのに」
 「天気のいい日にやりましょうね」
 優しくて温かい手が冷たくなっているオレの髪を労るように撫でた。
 「なんか雨だと思うと気持ちまでどよーんとしてくるな」
 「野球ができないからですか?」
 コンラッドは小さく笑った。
 「子どもじみた理由で悪かったな。それこそ子どもころは小雨なら野球やったけどさー。泥だらけになるわ、ぬかるんで守備しずらいし、走りにくくて嫌なんだよな」
 不満なオレとは対照的にコンラッドは笑ったままだ。
 「怪我しますからダメですよ?」
 「今はやんないよ。コンラッドだって子どものころは、嫌じゃなかったのかよ?」
 遊べなくて嬉しい子なんていないはずだ。
 「そうですね。子どものころはありがたい時が結構ありました」
 「は?」
 雨がありがたいなんて農家くらいだと思ってたオレは言葉を失った。
 「子どものころはよく父といろんな国を旅をしたんですが、途中で飲み水が切れたことがありまして」
 そんなサバイバルな幼少期がコンラッドにあったとは…初耳だった。
 「ありがたかったですよ、雨。飲み水が溜まるように入れ物を地面いっぱいに置いて、大きな口開けて雨を飲みました」
 「それは大変だったね…」
 オレの子ども時代とはかなり異なるエピソードだ。親父と旅行なんて、温泉とかキャンプくらいしか思い出せない。
 「でも楽しかったですよ?雨の日は雨の日の楽しみがあるんです。よく父は雨宿り先で初めて会う人たちと宴会をしていたんですが、そんな時はよくお菓子をもらいました」
 コンラッドは懐かしい想い出に嬉しそうに微笑んでいる。こんな顔を見ていると雨の日もそんな悪い気がしない。
 「楽しそうだな。雨の日は雨の日の楽しみがあるかぁ…」
 そういえば、雨の日ってだけでなにも出来ないって思っていたけど、なにが出来るだろう?ゲーム?でもこっちにはないし。
 「それなら野球の代わりに今日は旅に出て宴会をしませんか?」
 考え込むオレにコンラッドは突拍子もない提案をした。
 「旅?!宴会?!」
 「ええ。といっても本当に旅に出掛けるわけではありませんよ」
 びっくりして頭をガバッと上げたオレをくすくすと笑いながら、コンラッドは続けた。
 「グレタを誘って城内の探検に行きませんか?エーフェ達に頼んでお弁当を作ってもらって、宴会をするんです。どうですか?」
 血盟城の中にはまだ行ったことのない建物も結構ある。グレタもふだんはいないから知らない建物は多いだろう。
 「なんかピクニックみたいで楽しいな」
 「朝になったら台所へ行って、お弁当を頼みましょう。きっと喜んで腕をふるって作ってくれますよ?」
 異界育ちのオレの為に頑張ってくれるエーフェさん達の笑顔が見えた。はりきって作る姿が目に浮かぶ。
 「張り切りすぎて、持っていけないくらいたくさん作りそうで怖い気もするけどね」
 「そこらへんもちゃんと伝えないと、大変なことになりそうですね」
 そう笑い合っている間に雨を含んだ空気が軽くなって、部屋の中がわずかに明るくなったような気がした。
 「さすがに朝練は無理だな」
 「そうですね。その分、こうやってユーリといられて俺は嬉しいですけど。そう言う割に残念そうじゃありませんね?」
 確かに。でも、さっきまではものすごく残念だった。朝、走るのは毎日の習慣だし、空気が気持ちいい中で体を動かすのは大好きだし。
 でも、雨でも楽しいことや嬉しいことがある。
 例えば、雨のおかげで、コンラッドの子どものころの話も聞けたし。それから、お弁当持って探検したり、朝練がない分、いつもより少しだけ長くコンラッドのそばでこうしていられるように。そんな大した時間じゃないけど、この温かい時間がとても大切な気がする。
 ちょっと前まで重かった気持ちが不思議なくらい軽くて、くすぐったいくらいだ。
 そんなオレを不思議そうに見つめながら、コンラッドはオレの髪に触れている。同じくらいくすぐったくて、オレはコンラッドの指を捕まえた。
 「だって、雨の日には雨の日の楽しみがあるんだろ?」
 オレがそう言うとコンラッドが晴れやかに笑う。
 当たり前にそばにいるこの笑顔が一番嬉しいかもしれない。


-END-


20万HITS、ありがとうございます。
ささやかながら、みなさまへの謝意としてこの話をフリー小説とします。
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