くれない にほふ



 「すげー…」
 赤、黄色、白。緑に混じる色とりどりのバラがその芳しい香りとともに、美しく咲き乱れていた。城内にはいくつかの庭園があるが、春の庭と呼ばれるこの場所は、バラを中心として、今もっとも美しい場所になっている。
 せっかくいい天気だから。
 そう言って、今日のお茶はこの庭ですることになった。お茶の準備をするメイドたちの間をグレタが走り抜けて、バラの前で振り返る。
 「きれーだねっ、ユーリ」
 グレタがそう言って、バラの小道を駆けだした。
 「やっぱ女の子だな〜、待てよジュニア」
 「ああ、待ってください。陛下」
 グレタを追っかけて有利が駆けだし、その有利を追ってコンラートが駆けだす。バラは何百年もかけて手入れをされきたからか、大人の背丈ほどまで蔓を伸ばし、花の迷路を作り上げている。
 「ユーリ、こっちこっち」
 「おっ」
 笑うように咲く黄色のバラの横からグレタが笑顔で招く。もはや追いかけっこだ。
 「つかまえたぞ〜」
 「あははっ」
 親子と言うより子ども同士がじゃれあっているようにしか見えない。出会ってから一ヶ月しか経っていないのに、その時間すら感じさせないほど仲のよい親子だ。カヴァルケードに留学していたグレタをヒスクライフは約束どおり一旦帰国させてくれた。
 なかなか会えないこともあってか、グレタは帰ってきた日から父親にべったりだ。出会ったきっかけや時間の長さなど感じさせない。
 グレタの子どもらしい無邪気な笑い声がバラの垣根から聞こえると、ギュンターでさえ笑顔をみせた。
 「すっかり陛下になつかれて…」
 「特技みたいなものだな」
 グウェンダルがお茶を飲みながら静かに答える。心なしか眉間のシワが薄い。花の合間からこぼれる子どもたちの声が風に乗って城内を明るくする。
 「特技ではなく、陛下のご人徳です」
 「そうかもな」
 春の風が心地よくグウェンダルの頬を撫でて通り過ぎてゆく。眩しい季節にグウェンダルは目を細めた。
 美しい季節は風のようにあっというまに過ぎてゆく。花は風に危うげに揺れてコンラートに笑う。
 「ほんとうにキレイだね、ユーリ」
 とってもいいにおい。
 グレタが笑顔を花によせて香りに酔う。
 「ねぇ、とっちゃダメなのかな?」
 無邪気な顔でそう言い出した。
 「ん〜。どーだろ?ダメかな?コンラッド」
 有利は後ろにいたコンラートを振り返った。
 「ここは陛下の庭なので、陛下がいいと言えばいいですが…」
 「陛下っていうな、名付け親。なに?」
 コンラートは自分の言葉をじっと待つグレタの前でかがみ込む。
 「いえ、なんでもありません。グレタ、ギュンターにお願いしてごらん?庭師に言って切ってもらうといい」
 「うん!言ってくる!」
 花に負けない笑顔で返事をしたグレタが、バラの生け垣にできた細道を駆けていく。
 「お花が欲しいなんて、女の子ですね」
 コンラートは迷うことなく走っていくグレタの後ろ姿を眩しそうに見つめた。
 欲しいと、まっすぐに言える素直さはなんて美しいのだろう。花は芳しい香りでコンラートの鼻先でくすぐって、美しい顔を向ける。
 見る者を魅了するその笑顔を。
 「どーしたんだよ?コンラッド」
 有利が心配そうにコンラートをのぞき込んだ。
 「なにがですか?」
 「なにかじゃないよ。さっき言い淀んだだろ?それに、ちょっと顔がこわばってる」
 「そう…ですか?」
 有利のまっすぐな視線から逃げるように、コンラートは体を後ろへ少し反らした。
 「隠したってわかるよ。その…一応す、好きな人のことだし?」
 バラのように顔を真っ赤に染めて、有利はあらぬ方向を見た。やっとお互いの気持ちを知ったばかりだが、照れながらも気持ちをまっすぐに伝えようとする彼に、コンラートはときどき震えるように感激させられる。
 「言いたかったことはそーゆーことじゃなくて…だからどうしたんだよ?」
 まだ耳まで赤い有利は、ちらっとだけコンラートを見ると逃げるように視線を外して目の前のバラに触れた。ひときわ大きく咲き誇るそれは、妖艶な赤い花弁を手招くように広げている。
 「こうやって咲いているとキレイですが…」
 「うん」
 瑞々しい肉厚な花弁は太陽に向かって微笑み、風に踊るように揺れている。
 「切ってしまえば、はかないので」
 花を手折るのはたやすいけれど、それが色あせて朽ちてゆくのもたやすい。どんな花でもそうだ。
 庭園の花も野に咲く花も。そして、心にひっそりと咲く「花」も。
 「ひょっとして…枯れちゃうのを気にしてたわけ?」
 意外そうな顔で有利がコンラートを見つめた。
 「ええ…おかしいですか?」
 「おかしかないけど…でも、花のためにはある程度切らなくちゃだめなんだけど?」
 「え?」
 有利は大きな花弁を指で弾いた。
 「オレんちにも…こんなでっかくないけど、おふくろの趣味で花壇があって、この花が咲いてるんだ。やっぱり春になると咲くわけ」
 「はい」
 「咲くまでは絶対つんだらダメだけど…この花みたいにさ」
 ひときわ大きく花開いたものを有利は手で拾うように見せる。それは奥ゆかしい蜜までもが見えるように開いていた。
 「咲ききっちゃうと、植物にとっては大メシ食いで他の咲こうとしているヤツらの栄養まで摂っちゃうんだよ」
 「はぁ…」
 「んで、蕾のためには咲ききっちゃった花は摘んでやらないとダメなわけ」
 「枯れるんですか?」
 「いいや。でも、きれいに咲かない。ものすごく小さくなっちゃうんだよ」
 有利にそう言われてコンラートは花の生け垣をよく見ると、ところどころ剪定をした後があった。
 「それにさ」
 有利は釈然としないコンラートの顔をのぞき込む。
 「枯れたとしても、花はまた咲くよ」
 黒い瞳は日の中で小さくチカチカと光をはらむ。そこに命が輝くように。
 「次の季節も、その次も。きっと咲くよ」
 風が有利の髪を揺らして、芳しい香りがコンラートを誘う。
 「だから、心配しなくても大丈夫だよ。コンラッド」
 花が霞むような優しさと笑顔がコンラートに向けられる。コンラートは風に乱された髪に手を伸ばした。
 やわらかな漆黒の髪がコンラートの指に触れて流れる。
 「コンラッド?」
 「それでは、摘んでもいいですね?」
 ゆっくりとコンラートは手を下へと滑らせて有利の頭を撫でると、親指が頬へと触れた。
 「あ…ああ。うん」
 いつもの笑顔なのに、どこか違うような感じがして落ち着かない。ゆっくりと撫でおりる手が顎まで滑ると、コンラートは微笑みを一層深くした。
 「コンラ…」
 呼ぼうとした名前は、相手の唇の中へと消えた。
 軽く触れて、少し離れる。また触れて、離れる。
 花の甘い香りが胸いっぱいにひろがって、二人を包む。最初、目を見開いていた有利は何度目かには目を閉じて、コンラートの腕に手を添えていた。コンラートが遠ざかっていくのを感じて、有利がゆっくり目を開けるとコンラートの腕の中に攫われるように抱きしめられる。
 「ずっと、俺の腕の中で咲いていてくださいね」
 うんと言うには恥ずかしくて、有利はコンラートの背中に腕を回して抱きしめた。



-END-




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