Spring has come.


 踏みしめた若草が風にそよいで有利の足を慰めるように撫でる。ところどころから鮮やかな色が広がり、新しい季節を告げていた。
「どこ行ったんだか」
 ウェラー卿はあちらに、と庭師が告げた方向を有利は真っ直ぐ歩いて、突然消えた護衛を捜して城内を歩き回っている。普段は絶対と言っていいほどそばにいるくせに、ギュンターとグウェンダルと協議をしている間に居なくなっていた。飲み物を空けたカップを台所に戻すのに退室したっきり戻ってこない。
「ったく…自分はオレにうるさいくせに」
 有利がこちらにいる間は常に傍をウェラー卿コンラートは離れない。それが仕事ではあるが、もっとゆっくりしたくて頑張って仕事をこなした。久しぶりこちらへ来たため執務が溜まっていたが、せっかく頑張って書類を片づけて今日はゆっくりと一緒に過ごそうとおもったのに。
 どこかへ消えてしまったつれない恋人を探して有利は城内を久々に巡った。城から一歩出ると眩しい光が有利を包む。風はまだ肌寒いが日差しは温かく、誇らしげに咲く花や膨らんだ蕾がもどかしげに風に揺れている。
 身を縮めて手入れをする庭師を捜し出して聞くと、コンラートは花を手折ってもらった後、庭の奥へと歩いていったと言われた。
「『奇跡の花』を見に行かれたのだと思います」
 庭師は丁寧にそう教えてくれた。とりあえず教えられた方角へと進むと背丈ほどの植え込みの壁がそびえていた。迷路の入口のような植え込みの道へと踏み込んでゆく。
 「奇跡の花」なんてものが城内にあるなんて初めて知った。コンラートがわざわざ見に行くほどの花なのだろうか?
 光がこぼれる角を曲がると、白い花がぽつりぽつりと咲いている木と見慣れた背中が見えた。ゆっくりとコンラートが振り返り、有利を見ると優しく微笑んだ。
「逃げてきたんですか?」
「違うよ。ちゃーんと今日の仕事を終わらせたって。せっかく誰かさんとキャッチボールしようと思ったのにいないからさ」
 有利はコンラートのそばに歩み寄って彼が見つめていた木を見上げた。枝先に揺れている白い花はどこかで見覚えのあるような花だけど、どこで見たのか思い出せない。
「それは失礼しました。なら今日はボールパークに行きましょうか?」
「うん。…ところでさ、この花どっかで見覚えがあるんだけど、これが『奇跡の花』なの?」
「たしかにこれが『奇跡の花』です」
 ふうんと生返事をしながら有利は椿のようなカタチをした花を見つめた。
「で、どこらへんが奇跡なわけ?食べたら難病や便秘もスッキリ!とか?」
 奇跡というからには、やはりなにかあるのだろうと思ったのだが、コンラートは笑って否定した。
「違います。この花、というか木ですね。この木はもともとそんな名前ではなかったんです」
 いわくがあるらしい。危険があると色づくとかなにかあるのだろうか?期待して見上げる有利をコンラートが目を細めて微笑んだ。
「この木に見覚えがありますか?」
「あ、うん。この花どっかで見たと思う…どこだろ?」
 首を傾げる有利の視線を追いかけてコンラートも花を見つめた。
「この木と同じものは国内のいたるところにあります。たぶんユーリが見たのは国境近くの村ででしょう」
 国境?あまり近づかない場所を言われて有利が戸惑う。
「覚えてませんか?眞魔国に来たばかりのころ、焼き討ちされた村へヴォルフラムと一緒にやってきた時です」
「え?あの時?…つか懐かしいなー」
 まんまととっつかまった魔王を幼い少年が助けたという美談は今もこっそり語り継がれている。炎ら包まれた村を呆然とした気持ちで見つめながら、自分の非力さを知ったと同時に「争いのない国」にしたいと強く誓った。
 ふいに蘇る痛みにも似た感覚の中でぼんやりと白い花が浮かび上がる。
「あ!あの時の?え?」
 突然の雨で鎮火した村の中を歩いた時のことが蘇る。廃墟のようになった村の中で燃え逃れた木があった。幹は煤で汚れていたが雨で洗い流されたのか枝先の花が鮮やかなくらい白かった。
 しかし熱で弱った枝には痛々しい焼け跡もあった。それでも空へと花を咲かす姿が愛しくて、有利は幹に触れて額をくっつけた。
「がんばれ」
 負けるなよと心から祈りながら、タイヘンな覚悟を口にした自分を励ましていたのかもしれない。
 戦争をしかけようとするグウェンダルやヴォルフラムの言葉に頭にきてうっかり「魔王になる」と啖呵を切ったばかりだった。
「思い出しましたか?」
「あ、うん」
 すっかり木のとこなど忘れていた。まさかその木が『奇跡の花』と呼ばれているとは思わなかった。まさか願いを叶える木なのだろうか?
「あの村で燃え残ったのは、これと同じあの木だけでした。しかし炎にさらされてだいぶ弱って枯れるのは時間の問題でした」
 コンラートの手が労るように幹に触れる。
「ところが陛下が祈りを捧げた後、応えるかのように枯れずに毎年花を咲かせるそうです。それで『奇跡の花』と呼ばれるようになったんですよ」
「え?!オレ?!それと陛下っていうな名付け親っ」
「すみません、ついクセで。この木は魔王陛下が祈りを捧げた木として、各地で願いを捧げたり信仰されたりしているみたいです」
 そう言って笑うコンラートの上で白い花が風に負けないで枝にしがみついている。その健気な姿を有利は見つめた。あの時の祈りは届いたらしい。花にも自分にも。そう思うと少し誇らしい気がする。名前の由来がわかったところで、有利は気になっていたことを聞いてみた。
「しかし、なんでコンラートはわざわざ見に来たわけ?叶えてほしい願いでもあるの?」
「いいえ。この花は俺にとって春を告げる花なんです」
 桜みたいなものだろうか?愛しく花を見つめるコンラートが振り返る。
「あなたがこの国にきたときちょうど咲き始めて、ユーリが春を連れていたのかと思ったんです」
「オレは花咲じーさんじゃないよ」
「でもまた有利がこちらに来た途端咲き出したんですよ」
 まだ冷たい風が首筋をかすめていたのがふいに閉ざされる。温かなコンラートの腕の中で有利はゆっくりと目を閉じた。
 重なった影が少し揺らぐ。少し赤く色づいた有利の頬をコンラートが撫でた。
 一年の季節はコンラートに喜びを与えてくれる。
 夏は誕生の季節、秋はあの魂とともにあった。冬は新たな誕生を待つ喜びを与え、春は再び出会えた喜びをくれた。
 どの季節も大切な想い出に彩られているが「春」は特別だ。この腕に彼を抱きしめ、再び守ることができるようになった季節でもある。
 あの日、アーダルベルトの傍に立つ彼が振り返り、漆黒の瞳が自分を捕らえたとき、惜別の別れからの15年の歳月がとても短く感じられたのを覚えている。
 それは長い冬から解き放たれたような喜びだった。
 「やっぱりあなたが春を連れてきてくれた」

 愛しい季節がまたはじまる。

−END−


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