長男次男三男坊! 3



 夕日が遠くの稜線の彼方に消えて、頬を撫でる風は夜気が混じってほんのりと冷たい。ノーカンティが、それを払うようにぶるんと鼻を鳴らした。
 「もう少しだから頑張ってくれ」
 コンラートはなだめるように首筋を撫でると、ノーカンティが疲れた首を廻すように頭を垂れる。遠くまで出かけるのにつきあってくれた彼女に水を飲ませるため、コンラートが厩舎脇の水飲み場に近づくと薄闇に混じって空気を裂くような音がした。
 何度も繰り返されるリズムに覚えがある。厩舎の裏手へこっそりと回ると、薄闇の中にぼんやりと浮かぶように金髪が見えた。青い軍服姿の少年の手に握られた剣が鋭く音を立る。ヴォルフラムが夜を斬るように剣を振り下ろしていた。
 コンラートは音の正体を知ると、少し肩から力を抜いた。そういえば、最近ヴォルフラムがこっそりと厩舎の裏で剣術の稽古をしているという噂があった。本人以外には周知していることなのだが、プライドの高い弟に気遣って誰もその時間には厩舎に近づかないという。
 うっかりその時間に近づいてしまったらしい。コンラートは、こっそりと戻ろうかと思ったが足を止めて、その太刀筋を見つめた。
 少年といっても82歳だが、体はまだ大人になりきれていない。まだ細い腕で剣を振っているが、太刀筋はブレもなくしっかりとしている。
 ずいぶんとしっかりしたものだ。コンラートは思わずこみ上げてきた笑いを口に浮かべた。昔、子どものころ小さかった弟と剣士ごっこをした時は大変だった。弟はやたらと腕を振り回して、肝心の棒きれをよくあらゆる方向にすっ飛ばしていた。それでガラスを割ったり花瓶を壊したりしては、よく泣いていた。
 ──いっしょに謝ろう?ヴォルフ
 そう言うと、ベッドに隠れて丸まっていた弟は、泣き顔のままシーツから出てきて頷いた。
 しかし、その後もこりもせずにヴォルフラムは棒きれを飛ばして花瓶や置物を壊して、母を困らせた。そのせいかヴォルフラムは、大人から剣士になりたいのかとよくからかわれていた。しかし必ずヴォルフラムは首を横に振った。
 ──いいえ。ぼくは…。
 びゅっと、鋭い音が幼い声を払い去る。コンラートは軽く頭を振って、もう一度弟の太刀筋を見つめた。ヴォルフラムの剣技をきちんと見るのは久しぶりだ。
 以前に見たのはもう20年も前のことだが、そのころに比べてだいぶ上達した。しかし、やたらと肩に力が入っている。いや、ちょっと入りすぎてて腕を痛めるかもしれない。よく見れば、何かムキになって剣を振り下ろしているようにも見える。先日の新王との決闘の折りに剣で負けたことが悔しかったからだろうか?
 負けず嫌いな弟は、士官クラスとはいえ剣術も悪くない程度にできる方だ。ただし、戦場や実戦が少ないために、打ち合うとお手本みたいな太刀筋になってしまう。
 しかし、そのおかげでユーリが無事だった。コンラッドは今でもあの時のことを思うと、ひやりとする反面、誇らしい気もする。剣術よりもバットを振ってた彼が、とっさにヴォルフラムの動きを冷静に読んでいたのだ。その洞察力の鋭さをコンラートは心の中で褒め称えた。
 ふいにヴォルフラムが振り返り、こっそりのぞいていたコンラッドと目があった。
 「なんだ?」
 不機嫌なのはいつものことだが、地道に練習しているところを見られて照れくさい彼は、ぶっきらぼうに尋ねる。
 「別に。厩舎の裏で音がしたから確認しただけだよ。うまくなったな」
 「ふん。お前に褒められたところで嬉しくない」
 「そりゃ、失礼。ただ、ちょっと力が入りすぎているな」
 「ッ…うるさいっ!」
 夜のとばりのせいで、あまり見えないがきっと顔を真っ赤にしているに違いない。コンラッドは、そう思いながら背を向けて立ち去ろうとしたとき、背中に投げかけるように小さな言葉が聞こえた。
 「むこうの…」
 振り返るとヴォルフラムがバツが悪そうに視線をそらしながら話しかけた。
 「向こうの世界では剣術は…発達しているのか?」
 向こう?
 「ユーリが生まれた異世界だ」
 「こちらとそうかわりはないよ」
 ヴォルフラムは釈然としない顔でコンラッドのことを見る。
 「本当だよ。向こうの世界では剣術は実戦であまり使われていないんだ」
 「実戦で…使ってないのか?」
 緑の瞳が大きく見開かれる。
 「実戦では剣に替わる兵器が使用されることが多い。剣は主力兵器ではないよ」
 次兄の言葉にヴォルフラムが呟いた。
 「それでは『やきゅー』というのはその主力兵器なのか?」
 は?
 言葉もないコンラートに、ヴォルフラムが真剣な顔つきで言葉を続けた。
 「ユーリは剣術でないと言っていた。だが、ぼくを倒したあの打ち込みは相当な鍛錬によるものに違いない」
 確信を持ってヴォルフラムがそう断言する。
 「それは…まぁ鍛錬は積んでいらっしゃるみたいだが…」
 小さなころから陛下は野球ひとすじだったようだから、それはたしかであろう。ただスポーツという競技であって、決して命のやりとりをするようなものではない。どこから説明したものか。コンラートが迷っている間に、ヴォルフラムがさらに質問を投げかけた。
 「やはり!ユーリは『きゃっちゃー』なるものを使用しているのか?」
 「『きゃっちゃー』?ああ、キャッチャーね。使用しているんじゃなくて、陛下はキャッチャーなんだよ、ヴォルフラム」
 コンラートの返答にヴォルフラムが、誇らしげに微笑んだ。
 「ユーリはきゃっちゃーなのだな!へなちょこだが、やはりぼくの婚約者だけあるな」
 夜が深くなってゆくが、それにも負けない晴れやかな笑顔でヴォルフラムが喜ぶ。なぜ陛下がキャッチャーであることが、ヴォルフラムにとって喜ばしいことなのか、コンラートにはよくわからない。ただ、なにか勘違いしていることだけは確かだった。
 「ところでヴォルフ、キャッチャーがどんなものか知っているのか?」
 コンラートの言葉にヴォルフラムは口を尖らせ、バカにするなと言うと咳払いをして次兄に向き直った。
 「ちゃんと知っているぞ。『きゃっちゃー』は、ら…『らんなー』?なる者を刺して殺す者だ」
 激しく違う。
 困惑するコンラートに気づかないヴォルフラムが、胸を張って誇らしげに語る。
 「異世界生まれの婚約者のために、ぼくは異文化研究に余念がないのだ。ユーリは剣術ではないと言っていたが、命のやりとりをするものなのだろう?棒きれで球を打ち、走った者と『きゃっちゃー』が対決する勝負だとユーリが言っていた」
 一体、陛下はどんな説明をヴォルフラムにしたのだろうか?楽しい競技がヴォルフラムにかかると血なまぐさい闘技へと変わる。まるで古代ローマのコロセウムで行われていた剣士たちが斬り合う闘技のような風情だ。
 「なぜ棒きれで球を打った者と対決するのかよく判らないが、やはりユーリはただ者でなかったのだな」
 いや…だって球技だから。バッターがピッチャーが投げたボールを打って、それを守備が捕ったら打者にタッチしてアウトをとる団体競技なんだよ。
 コンラートはそう心でツッこんで、勘違いしている弟に説明しようと口を開きかけたが、言葉もなく閉じた。
 果たして解るものだろうか?競技の内容もだが、その楽しさを言葉で説明して解るものだろうか。陛下が説明してこの理解力だったのだ。有利よりもさらに野球歴のないコンラートが説明しても、余計に混乱するかもしれない。
 なにより野球のおもしろさは観ないと解らないだろう。かつてショーマに連れられて球場に見に行かなければ、自分だっておもしろいとは思わなかった。
 今度陛下がいらした時に見せた方がいいかもしれない。子ども達も喜ぶし、なにより有利自身が喜ぶだろう。もしヴォルフラムが興味を持てば、きっと彼は喜ぶはずだ。
 コンラートがそんな計画を密かに立てている側で、ヴォルフラムが満足げに口を開いた。
 「『やきゅー』がどのような剣技なのかは解らないが、やはり魔王なのだからそれ相応に強いことはいいことだ」
 かなり違うが、たぶんこちらの球界で陛下はトップアスリートであることには違いない。コンラートはもはや誤りを指摘することを放棄した。夜の風がヴォルフラムの金髪を軽く撫でる。その肌寒さに堪えるようにヴォルフラムはぎゅっと剣の束を握って、少しだけ目を細めた。
 「しかしユーリは剣術ができないへなちょこだからな」
 たしかに剣術に関しては、危機的状況だ。だが、それでも構わないとコンラートは思っている。
 彼がすべきことは、剣術が強くなることではない。剣術が強くなることよりも辛く長い道を彼は選んだ。
 ──あっちも間違ってるけど、自分たちだけでも正しいことをしようよ、戦争するのは間違っているよ。
 彼の両手は剣術のためにあるのではなく、すべての者を導くためにあるのだから。
 コンラートはふいに強い視線を感じた。ぶつかった視線の先にいたまじめな面もちの弟が口を開いた。
 「それは情けないことにかわりがないが」
 暗くなる夜の闇の中で、ヴォルフラムがまっすぐコンラートを見つめている。その意志の強さを映したような瞳に見覚えがあった。
 「その分ぼくが守ればいいだけのことだ」
 どこか懐かしい瞳は、闇の中でも輝きを失わない。強い意志と決意を秘めた瞳をコンラートは覚えている。まだ幼い日によく見た瞳だった。
 ──いいえ。ぼくは大きくなったら「魔王陛下」をお守りしたいんです。
 だから強くなるのだと、そう言っていた子どもの瞳だ。
 コンラートの中に懐かしさと温かいものがこみ上げてくる。懐かしい日々といつも一緒にいた幼い弟は、もうどこにもいないと思っていたけれど。
 ちゃんとここにまだいる。
 嬉しい気持ちを隠さずにコンラートが微笑むと、それを見たヴォルフラムがわめき立てた。
 「な…なんだ?!なにがそんなにおかしいんだ?!」
 「いや。かっこいいな、ヴォルフラム」
 もう棒きれを飛ばして、弟は泣くことはない。コンラートはそれをちょっとだけ寂しく感じながら、改めて弟を見た。思えばだいぶ成長した。すらりと伸びた腕はしっかりと剣を握っている。そして、ヴォルフラムは自分の意志で剣を振るい、誓いのとおり守るのだろう。最愛の「魔王」を。
 「そ、そんなことを言っても何も出ないからなッ!」
 闇の中でも解るほど真っ赤な顔したヴォルフラムがうろたえて吠える。その姿はやはりどこか幼い感情が見え隠れして、コンラートはどこかで安心したような気持ちをかみしめた。
 「やっぱりまだまだかな?」
 「なんだとーッ!」


-END-




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