死せる世界の涯で 11



 いままでだって「笑顔」だった。
 オレが無茶なこと言ったときだってしたときだって。
 そうなることがわかっていたような笑顔。楽しそうな笑顔。オレを優しく見守る笑顔。
 でも、この笑顔はちがう。なにか戸惑いを隠せないようなそんな笑顔だ。
 「…いいえ。なんでもないんです」
 そう言って、コンラッドが微笑む。冬の淡い空ににじむような笑顔はなぜか切なくなるような気持ちにさせる。
 だけど、初めてコンラッドを身近に感じられた笑顔だった。


 潮風に叩かれた頬が冷たくなるのをぼんやり感じながら、オレはずっと青空を見ていた。ぽつぽつと浮かぶ雲が薄く日差しを遮るけど、やがて太陽が顔を覗かせる。頭の中までぼんやりとしたオレを叱るように強い光が降り注いだ。
 「部屋にいないから心配しましたよ。坊ちゃん」
 「コン…じゃなかったカクサン」
 世を忍ぶ仮の姿として越後のちりめん問屋とその家来に化けたんだった。カクサンことコンラッドは、手にしていたブランケットみたいなものをオレの肩に掛ける。
 潮風を受けて、朽ち葉色のような髪が乱れるが、いい男というのは髪が乱れてもいい男らしい。事実、コンラッドから遠く後ろにいる若い女性たちが熱い視線を送っていた。
 「風が気持ちいいですね。でも、あまりあたると体を冷やしますよ。あなたまで風邪を引いたら大変です」   
 「こんなくらいじゃ風邪なんかひかないよ。結構日差しもあるし」
 ときどきコンラッドはギュンターなみに心配性になる。だけど、たしかに風邪ひきがいるしなぁ。
 さっき、赤い頬をしていたマルチャン(仮称)の寝顔を思い出した。今回の旅はもともと二人旅の予定で手配していたところに2人余分に詰め込んだせいで、船室は合宿所のような状態だ。そこに船酔いしたヴォルフラムと風邪を引いた謎の暗殺少女が寝込んでいる。
 結局、名前を聞くこともままならなかったので、オレはひそかにマルチャンと呼んでいる。たぶんホントは違うだろうけど。
 「暗殺者の看病をする魔王がどこにいる。うっ…」
 「ここに…って、無理してしゃべんなよ、ヴォルフラム」
 洗面器抱えて青い顔して睨んだって、こわくないって。第一、看病って言ったって、濡れタオルを額に乗せるだけだし。ギーゼラみたいに治せたらいいんだけど、オレにはどうしたらいいかさっばりわからない。
 それでも少しは効いたのかマルチャン(仮称)はほどなく寝息を立てて、憔悴しきったヴォルフラムもやっと寝たので、オレは起こさないようにそっと部屋を抜け出した。
 「あんまり歩きまわっては、足に響きますよ。ちょっと見せて下さい」
 そう言って、コンラッドは屈んだ。軽く手でオレの足を確かめるように触る。
 「大丈夫だって。ホラ、喉笛一号もあるし」
 「油断していると悪化しますよ。ちょっと熱をもってますね」
 たしかに血盟城から港までトランク引きずって歩いたから、ちょっとくらいは腫れてるかもしれない。オレの足に触れるコンラッドの手の方が冷たくて気持ちいい。
 「大したことないよ。ちょっと休めば腫れも引くって」
 「なら、休みましょうか?」
 ゆっくりと立ち上がったコンラッドがにっこりと爽やかに微笑むと突然近づいてきた。ぎょっとして後ろに下がったところを攫われるように足をすくわれる。遠くからキャーなんて黄色い声が聞こえると、オレは見事にコンラッドの腕の中にいた。
 「なッ!おろせよ!」
 見事なお姫様だっこ状態だ。男としてはとても無様でしかない。
 「ちょっとの間ですから我慢して下さい。足に負担をかけずに移動するには、これが一番なので」
 そーだろうけど、そーじゃないんだってばッ!
 コンラッドの背後では女の子たちがオレ達を見て騒いでいる。あの2人ってばなんなのー?恋人?!みたいなことを言い合う声がオレのところまで届くくらい。どーして男同士でそーなるんだよ!
 そう内心でツッコミながらも、オレの心臓はいたたまれなくてバクバクしていた。
 そんな声もオレの心臓の音も聞こえないかのように、コンラッドは涼しげな様子でデッキの端においてある長いすにオレを下ろす。
 「先ほどグウェンダルに知らせを出しておきました」
 「へ?」
 なんのことか分からなかったオレにコンラッドが苦笑している。
 「あの子のことです。黙って連れてきてしまったでしょう?」
 「あ、あー!!そうだった。オレが黙ってつれてきちゃったんだ…グウェンダル、怒ってるだろうな」
 眉間に険しい皺を寄せたグウェンダルの顔が浮かぶ。それだけでぐっと頭が上がらないくらい重くなった気がした。
 「怒られるのがこわいですか?」
 「こわいっていうかさー…悪かったなって思って」
 ただでさえオレがやらなきゃいけない仕事を大半やってもらってるっていうのに、面倒かけたわけだし?
 「後悔しているんですか?」
 「ん〜…後悔はしてない。なんて言ったらグウェンダルに悪いんだけど」
 オレはサングラス越しに見えるコンラッドの目を見た。冬の冷たい空を優しく吸い込んで、オレを包み込むように見つめている。
 「それでもオレはちゃんと向き合いたいんだって言ったらおかしいかな?」
 オレは王様で、向こうは暗殺者。だけど、あの子の悲しく冷たい目の理由を知りたい。あの目は強いのに冷たい目をしていた獅子にどこか似ているから。
 「…坊ちゃんらしいですね」
 冬の海のように寂しげな色がにじむ目でコンラッドが薄く笑った。呆れたような観念したかのような笑顔だ。
 「オレらしい?」
 「ええ。ふりそそぐ太陽のようにまっすぐ相手を見ようとする」
 そう言うとコンラッドは眩しい光を一身に浴びるように頭上の太陽を仰ぎ見た。
 「なーにギュンターみたいなこと言ってんだよ。それより、連絡してくれてありがと」
 コンラッドのおかげで、脱走したことにはならないだろう。お尋ね者になったら大変だった。というか暗殺者なわけだから、充分お尋ね者なのかもしれない。
 「ところで、なぜ部屋から出たんですか?」
 コンラッドはブランケットからはみ出したオレの肩を隠しながら、そう尋ねてきた。決して怒っていない、優しいまなざしだ。
 「カクサンを待たないで出て悪かったよ。2人とも寝ちゃってさ。なんか物音立てて起こしちゃいそうだったから、出てきたってわけ」
 「たしかにヴォルフラムもあの子もすっかり寝てましたね」
 「ふたりともよくなるといいな」
 「あとで熱冷ましの薬をもらっておきます。夜の方が熱が高くなりますからね」
 手慣れてんなーと思いながら、オレはふと思ったことを聞いてみた。
 「こっちには船酔いの薬ってないの?」
 もしあるならヴォルフラムに飲ませれば、あの無間ゲロ地獄から抜け出せるんじゃないか?ところが、コンラッドが困ったような顔で肩をすくめた。
 「あることはありますが…飲ませても効く前に吐くので意味がないんです」
 その答えに納得しながら、オレはコンラッドの顔を見た。
 これは、この顔は見たことがある。仕方ありませんって顔だ。さっきの困った顔とは違う。
 「どうしましたか?」
 オレの視線に気が付いてコンラッドがのぞき込むように尋ねる。
 「いや、なにも」
 慌ててきらきら輝く海へと逃げるように視線を逸らした。あれは、どういうことだったんだろう?なんでもないって言ったけど、そんなはずはない顔だった。でも、どうしてかあの時、オレはそれ以上聞けなかった。なんか聞いちゃいけないような気がしたのもある。
 まぁ、その後すぐに船が出航してヴォルフラムが吐くはマルチャン(仮称)が熱を出すわで、聞くどころじゃなくなった。
 思えば、一緒にいる割にコンラッドのことを本人に聞いたことはあんまりない。向こうのほうがはるかに大人だし?同級生と話すのとはやっぱ違う。
 それに、コンラッドがどんな顔してるか。オレは見なくてもわかるときがある。そんなときは大抵、コンラッドが感じていることもオレは分かったりする。というか分かるような気がする。
 でもあの時は違ってた。初めて見る少年みたいに照れたような困った顔。今はもう違う。いつものコンラッドだ…たぶん。
 「きっと聞けますよ、名前」
 潮風にのって、優しい声が届く。その声に誘われて、オレは振り返った。
 「きっとあなたなら連れてゆけます。寂しくない場所に」
 サングラス越しのコンラッドは薄暗い世界の中で静かに微笑んでいる。ちゃんと笑っているのに、オレはなんだか無性にその笑顔が遠くて寂しかった。
 そんな風にひとりで見守るように笑っていてほしくない。オレはもどかしい距離と気持ちを縮めたくて、コンラッドに近づいた。
 「連れて行くんじゃなくて、オレは一緒に行きたいんだ」
 連れていくなんて大層なことオレにはできない。情けないけど、どこに行けばいいかなんて分からない。
 「こんなこと言ったら無責任かもしれないけど、どうしたらいいのかなんて、オレにはわかんないよ。でもさ、一緒になら探せると思うんだ」
 正解がなんなのか、オレには分からない。悔しいけど、オレひとりでは無理ってことはいっぱいある。むしろオレができることなんてたかが知れている。
 でもオレはひとりじゃない。
 「野球だって、ピッチャーだけじゃダメだし、バッターだけでもダメだろ?でもチームでなら…みんなでなら出来る気がするんだ。一緒なら、いい方法も寂しくない場所も探せる気がする」
 司令塔が情けなくてカッコ悪いけど、グウェンダルがいてギュンターがいてヴォルフラムやツェリ様やアニシナさんがいる。オレのチームはときどき考え方が違ったりするけど、みんなオレを信じてくれているし、頼りになる。
 「俺もですか?」
 さっきより楽しそうに笑うコンラッドがいる。オレの子どもっぽい考えでも、ちゃんとコンラッドは受け止めてくれる。誰よりもオレの傍にいて、誰よりもオレを信じてくれる。
 「もちろん。一緒に探してくれるだろ?」
 「ええ。どこへでも」
 眩しい日差しを避けることなく、心から誓うようにコンラッドはそう言った。



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