今日からネのつく自由業? 2


 ぴちゃ…。
 オレは人肌くらいに温められたミルクを舐めてみた。舌でなめると意外と飲みやすい。というか、人間の時みたいに飲もうと顔つっこんで飲むと窒息することをこの姿になって初めて知った。
 牛乳はもともと嫌いじゃないけど、腹が減っていたので皿一杯分をあっという間に飲みきった。
 「しかし…どこの子猫なのか…石をぶら下げているところを見ると飼い猫なのだが…」
 だーかーらっ、渋谷有利原宿不利!一応ここの魔王だってば。
 「おなかいっぱいになりまちたか〜?」
 だめだ…。グウェンダルはオレと目を合わせてない時は、普段どおりしゃべるんだけど、オレが見ると途端に「馬鹿飼い主口調」だ。どーにかオレだって伝えられないかな?肉球が邪魔してペンは持てないし…って、字も満足に書けないオレにはもともと無理か。
 がっくりとしているところに、ノックがした。びくっと肩を震わせたグウェンダルが、とっさにオレを机の下に隠す。
 なに?オレってやばいの?
 「入れ」
 グウェンダルの声に答えて、誰かがドアを開けた音がした。
 「兄上、大変なことになりました」
 ヴォルフラム!
 オレは机の下からはい出て、ヴォルフラムの前に飛び出した。
 「ユーリ!お前、一体今までどこをほっつき歩いていたんだ!」
 「陛下!ご無事だったのですね!」
 ヴォルフラムの後ろにいたギュンターは、ハンカチをくわえて感涙にむせていた。
 「ヴォルフラム、この猫はお前のか?」
 「いいえ!」
 ヴォルフラムが答えるより早く、ギュンターが機先を制するように割って入った。
 「この艶やかで麗しい黒猫は、呪いの沼で姿を変えられた陛下です」
 そう、オレ。
 「陛下?…この子猫ちゃ…いや、これが?」
 愕然としたグウェンダルが呟く。そーいや最初に会ったときもそんなこと言ってたな。
 「沼に落ちてこんなことになってしまったのです…兄上」
 無言でたたずむグウェンダルの眉間のシワがかなり深い。そりゃショックだよな、仕えている身としてはさ。王様の耳がロバの耳になっても、体は人間だから意志の疎通はできるし、耳隠しゃ全然オッケーだ。ところが、オレは完全なネコ。どんなに頑張っても相手にはめえめえとしか聞こえないのだ。
 グウェンダルがあまり無言でいるので、机に飛び乗って様子を見た。
 大丈夫か?
 言っていることはわからないと思いながらも、声をかけてみる。グウェンダルは硬直していたが、ゆっくりと手を伸ばして、オレのあごの下を触った。そこには、コンラッドからもらった青い魔石が首輪のようにぶら下がっている。
 それを手に取り、しばらく見つめていたが軽く瞬きをして離した。
 「元に戻す方法はないのか?」
 どうやら立ち直ったらしい。グウェンダルはいつものようにしかめっ面でギュンターに尋ねた。
 「私が知る限りでは具体的な方法はわかりません…ですが、もしかしたらアニシナが知っているかもしれません」
 「アニシナが?!」
 「なぜ赤い悪魔が?!」
 ヴォルフラム、女性にその言い方はまずいんじゃない?オレがネコ語でそうつっこんで、グウェンダルの眉間のシワがより深くなった途端、机の引き出しが勝手に開いた。自動引き出し?!
 「誰か私をよびましたか?」
 その引き出しの中から、赤い髪を揺らしてアニシナさんがひょいと顔を出した。そして軽やかに赤い髪を揺らしながらはいだした。
 アニシナさん、ドラえもんだったの?!
 「なにか聞きたいことがあるなら、せめて客に対して茶の一杯でも出す誠意がほしいところですね」
 引き出しから突然の登場なのに、グウェンダルは驚かなかった。冷静に秘書に茶を頼んでいる。幼なじみだというグウェンの足に、前足になった手を置いてオレは尋ねてみた。ねぇ、アニシナさんってネコ型ロボットなの?
 「…まさか茶が欲しいのか?」
 ふるふる。違うって。
 「おや、グウェンダル。またネコを拾ったのですか?あなたときたら、あれほど仕事が忙しくて、最終的には里子に出すことになり、別れの際に泣く姿が見苦しいからおやめなさいと言うのに」
 「いや、拾ったのではない。ちょうど良かった、相談したいことがあってな…」
 秘書官の女性が人数分のお茶を持ってきたので、そこで話が中断した。ゆったりと登る湯気と薫りが、すこしだけみんなの気持ちを落ち着かせた。ひとくち飲むとグウェンダルとギュンターが呪いの話を切りだした。
 「まったく大の男がそろいもそろって情けない」
 ドラえもんなアニシナさんは、紅茶をすすりながら事の顛末をそう結論づけた。
 「どうやら陛下が落ちたのは、3000年ほどの前に猫が落ちておぼれ死んだ沼ですね。それ以来、その沼に落ちた者はみな猫になるという悲劇的伝説をもつ沼です」
 「もしほかの沼に落ちていたら、こんなことにならなかったのか?」
 ヴォルフラムが尋ねると、アニシナさんはきらっと目の端を輝かせた。
 「ほかのですか?たしかほかには、うら若き女子がおぼれ死に以来落ちた者はみな若い女性になるという悲劇的沼や、ネグロシノマヤキシーが溺れて死んで、以来落ちた者が皆ネグロシノマヤキシーになるという沼などがあります」
 ネ、ネグロシノマヤキシー?それってどんな生き物?だけど、オレってば、まかりまちがってたら、女の子になってたかもしれないってこと?…おふくろは喜ぶかもな。おふくろの口癖は「男の子なんてつまらない」だし。女の子になったら、フリフリでびらびらなスカートとかまたはかされそうだ…。それもいやー!!
 「まさか…あの沼地全部にそんな伝説が?」
 「ありますとも!あなた方は『眞魔国・実際にあった怖い話』、略して『実コワ』を読んだことがないのですか?」
 「ないな…」
 「まったくもって、情けないっ。剣ばかりでなくもっと教養を身につけるべきですよ」
 アニシナさんがお小言に返す言葉もない3人の中から、グウェンダルが冷静に話を戻した。
 「ところで、陛下を元に戻すことはできるのか?」
 「もちろん!知っておりますとも。ただし、そのせいで私自身が陛下の呪いを解くことは叶いませんが」
 「どういうことだ?」
 ヴォルフラムが身を乗り出す。オレは耳をそばだてた。
 「この呪いは古文書にある通り『真実を見抜く者だけが呪いを解く』ことができるのです」
 アニシナさんは、静かにカップをソーサーに戻した。
 「つまり、ネコになったことを知らない者が、その姿に惑わされずに正体を見抜くことが出来れば、呪いは解けます」
 なに?ネコになったことを知らないやつが、オレだと見破ったらいいってこと?
 「それは…なにか?ネコの姿をしているが本当は陛下だと見破ったら、もとに戻るのか?」
 「ええ。その通りです。そのため、陛下がネコになったことを知っているフォンクライスト卿とフォンビーレフェルト卿、そしてグウェンダル、あなたも解くことは無理です」
 「そんな…それでは誰かが陛下だと判るまで、このままなのですか?」
 「それが呪いというものです」
 がくっとギュンターが肩を落とした。まぁ、解くことはできるんだから、そんな力を落とすなよ。
 「アニシナの薬でなんとかならないのか?」
 「なんともなりませんよ。毒ではないのですから」
 アニシナさんは、ヴォルフラムにあきれ顔でそう答えた。たしかにね…呪いなんだし。ということはポケットから出す便利アイテムでもだめだ、どうしようドラえもん!
 「つまり、ここにいる者以外の者に託すしかないのか…」
 グウェンダルが考え込むようにあごに手を当てていると、またドアがノックされた。
  「入れ」
 入ってきたのは、オレの名付け親でこっそり恋人なコンラッドだった。コンラッドは、朝から遠方の村に出かけていた。騒動があったと聞いてオレは気になったけど、死傷者はいないと言われた上にギュンターとグウェンダルに引き留められて、一緒に行かなかった。
 「ギュンターもここだったのか、ちょうどよかった」
 「コンラート、戻ってきたのか?」
 「ああ。国境近くの街道で人間の襲撃があった件なんだが、調べたら山賊の仕業だった。うまくひっとらえることに成功したから、処罰などを頼む」
 「ああ」
 山賊だったのか…。報告を終えたコンラッドは、何かを探してその場を見渡した。
 「あれ?陛下はどちらに?」
 「陛下は…その…」
 「陛下は眞王廟で100日籠もりをなさることになりました」
 グウェンダルが言いよどんだのをアニシナさんがすかさずつないだ。
 「100日籠もり?それは一体?」
 いきなりの言葉にコンラッドが眉をひそめた。
 「陛下が長く異世界にお帰りになれないので、眞王陛下と腹を割って話すと仰られた陛下は、そのまま禊ぎと祈祷のためにお籠もりになられたのです」
 立て板に水な早口で、アニシナさんが嘘八百を並べた。
 「それでは警護は?」
 「もちろん万全ですよ。廟内の警護は無理ですが、外の警護を強化してあるから大丈夫。それよりもウェラー卿、あなたには非常に重要な使命があります」
 アニシナさんがオレを抱き上げた。こういってはナンですが、やはり女性に抱っこされるほうがやわらかくてイイ感じだ。なにってそれはお胸が。だけど、その感触をあまり味わうことはできなかった。アニシナさんが、ずいっとオレをコンラッドの目の前につきだしたからだ。
 「このネコの面倒を誠心誠意みるのです!!」
 「…はぁ?」
 事態の深刻さを知らないコンラッドは、困惑しながらオレを受け取った。



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