今日からネのつく自由業? 6



 なんとも気まずい朝ごはんの後、コンラッドはオレを抱えて部屋に戻った。朝日が部屋の中を洗い流すように差し込んでいる。自分の中の嫌な気持ちごと溶けそうな日差しが、部屋の中に満ちていた。コンラッドはオレを日当たりのいい椅子の上に静かに乗せると、窓を開けてベッドメークを始めた。
 へぇ。コンラッドがベッドメークしているとこ初めてみた。
 「ん?どうかしたか?」
 なんでもないよ。
 オレはコンラッドに判るように首を横に振った。コンラッドは再び手慣れた動きでベッドを整え始める。なんか、ちょっと新鮮。いつもコンラッドと一緒にいるけど、こんな風に日常的なところって見たことないし。
 手早くベッドを整えると、今度は洗い物のかごを扉の外に出して、部屋を掃除し始めた。…コンラッドが剣じゃないものを握っているところも、初めて見たよ。なんつーか箒みたいなもので床を掃き出した。
 「大丈夫か?ほこりぽっくないか?」
 平気。
 「そうか。もうちょっと我慢してくれ」
 コンラッドはさわやかな笑顔でオレの頭を軽く撫でる。温かい日差しが頭から背中にかけてオレを温めてゆく。なーんか溶けそう。ぼんやりと眺める目の前では家事にいそしむコンラッド。…なんだか新婚さんみたい。
 かぁっと顔が熱くなった。あほだ、オレってばナニ考えてるんだか。今はそんなことより、コンラッドにオレだと解ってもらわないといけないんだってば。
 「どうしたんだ?頭なんか抱えて…」
 見上げれば不思議そうな顔したコンラッドがいた。
 「どこか具合でも悪いのか?」
 悪いっちゃ、悪いけど大丈夫。悪いのはオレの頭の中身だし。
 「よかった」
 コンラッドはオレを抱えると毛をすくようにやさしく撫でた。うー、気持ちいい…。頭を撫でる手がなにかを確かめるように何度も動いた。
 「お前も撫でられるのが好きなんだな」
 へ?
 「ユーリもオレが髪を撫でると手にすり寄るんだよ」
 え?そんなことしてた?でも、コンラッドの手って気持ちいいんだよな。コンラッドの手はオレより大きくてオトナの男って感じだ。剣豪なせいで、ちょこちょこ傷があって、手のひらと指には剣でできたタコがある。それがとても厳めしい風格を与えているんだけど、オレを撫でるときは信じられないくらい優しく触れてくる。
 「ユーリはお前と同じ黒い色の髪でね、撫でると指の間を逃げるようにさらさらとしているんだ」
 オレの頭を撫でながら、コンラッドの目が慈しむように細められる。
 「ついその逃げる感触が寂しくて、捕まえたくて何度も撫でると、お前のように目を細めて少しだけすり寄るんだ」
 オレは思い切ってコンラッドの手に頭をすり寄せた。いつもだったら恥ずかしくって絶対にできないね。コンラッドは軽く微笑むとオレの頭をまた撫でた。そして、抱き直すと窓辺に近づいてゆく。
 コンラッドの胸元にしがみつきながら、オレはわざと見上げないで窓の下を見つめた。だって、わざわざ見なくたってコンラッドがなにを見てどんな顔しているか判っている。
 きっと森の囲まれた丘の上を切なそうに見ているに決まっている。オレは何も見えないようにコンラッドの胸へ顔をこすりつけた。日差しが高く上がってゆくにつれて、温かく俺たちを照らしているのになぜかとても寂しかったからだ。


 「ホントに夢中だな」
 コンラッドは笑顔でそう言うと、オレの前でネコジャラシー君を揺らす。
 えい。
 オレの両手から赤い稲穂が逃げた。白いシーツの上を赤く揺れるそれを目で追いながら、両手を素早く動かすけれど、うまくつかめない。
 オレはネコになってもコンラッドに翻弄されている。ああ、もう。こんなことをしている場合ではないんだけど!ああ、悲しきかな狩猟本能。ゆらゆら揺れるそれを必死で追いかけている最中、耳のはじっこでドアが叩かれる音を聞いた。
 「どうぞ」
 コンラッドの視線が一瞬、扉に奪われた隙にオレは稲穂に飛びかかる。
 やったぜ!
 肉球に伝わる柔らかな感触を押さえた時、扉が開かれた。
 「失礼いたします、閣下」
 鈴が転がるような…というか本人自身も充分にかわいいエーフェさんがコンラッドの部屋に入ってきた。そして、扉を大きく開けると大きなドームみたいな覆いをかぶせた大きなワゴンを部屋に押し込む。
 なんか…おいしい匂いがかすかにする。鼻をひくひくさせているオレをコンラッドが抱きかかえて彼女を迎え入れた。
 「お時間を賜りまして、ありがとうございます。閣下」
 「また…ずいぶんと気合いが入っているね…」
 銀色のドームを見つめながらコンラッドがそう言うと、エーフェさんは桃色の頬をさらに染めて恥じらった。
 「申し訳ございません。その、つい作りすぎてしまって…」
 彼女はそう言うと、ドームの蓋を開いた。その途端、甘い香りが部屋の中に広がっていく。ドームの中身は様々なお菓子がどかんと入っていた。
 すっげー…。
 おふくろが少女趣味なもんだから、オレは結構小さな頃からこの手の菓子は結構食べてきた。だけどそれは、料理の本に載っているようなものばかりだったけど、目の前にあるのは、それよりちょっと高級そうなものばかり。そーいえば、ギュンターが用意するお茶によく出てくる菓子ってこんなだな。
 はぁ〜…もしかして、コンラッドのために作ったワケ?そして、これ全部食う気?お菓子の満漢全席する気?腹こわすよ?
 エーフェさんはそれぞれの菓子を小さく取り分けて、テーブルへと出してゆく。ちゃんとお茶を出すあたりが女の子だ。コンラッドはオレを椅子に載せると、もうひとつある椅子に座った。
 「かなり研究したみたいだね」
 「はい。閣下のご助言を基に作ってみました。どうぞ」
 エーフェさんはとびきりの笑顔でそう言うと、エプロンの中から手帳となにかを取り出した。
 「いただきます」
 コンラッドは礼儀正しくそう言うと、タルトみたいな菓子をひとくち食べた。
 「上達したね」
 「ありがとうございますっ」
 お〜…嬉しそうだこと。まぁ、そりゃあ、こーんなかわいい子にお菓子作ってもらったら、男としては嬉しいけどさぁ…。オレはなにも見ないように顔を背けた。
 きゅぅぅぅう〜、ぐぅぅぅう〜…
 匂いにつられたオレの卑しい腹が、理性にうち勝ってしくしくと鳴く。
 「お前も食べるか?」
 小さく切ったタルトをコンラッドが手のひらに乗せて、差し出した。よくみたらそれは桃みたいな果物のついたタルトだ。
 「閣下、ネコはお菓子を食べませんよ?」
 「こいつは特殊でね。人間の言葉も判るし、食べ物も人間と同じらしいんだ」
 「まぁ…」
 だってオレ、人間だし。どんな人が作っても、食べ物には罪はない。オレはソレにかぶりついた。
 うまい。
 タルトの生地が結構厚めでサクサク、クッキーみたいでオレ好みな上に、果物は見た目は桃だったけど、味はサクランボだった。これが甘すぎずさわやかな味だ。…なんか悔しいけど、うまい。
 「いかがですか閣下?」
 エーフェさんは祈るように、コンラッドをのぞき込んだ。
 「これなら気に入ると思うよ。特に生地がサクサクしていて陛下の好みだね」
 はい?
 ヘイカって…オレ?たしかにオレ好みな味だったけど?
 コンラッドの寸評を聞いたエーフェさんは、嬉しそうな顔でさらに質問をする。
 「あの、甘さはいかがでしょう?陛下はあまり甘いものはお好みでないそうですが…」
 「これくらいでいいと思うよ」
 「それでは、今度陛下がお越しの際にはお出ししても構いませんか?」
 「ああ」
  見るとエーフェさんは手帳になにやら書き込んでいた。
 「それでは、次にこちらなのですが」
  椅子からでは見えず、オレはテーブルに飛び乗った。皿の上には3種類の菓子が小さく乗せられている。
 コンラッドは彼女が勧める黒っぽいチョコレートケーキみたいな菓子を口に入れる。
 「結構辛いね」
 辛いの?!チョコじゃないの?
 「陛下のお好みではないですか?」
 「小腹がすいた時にはいいかもしれないが…たぶん驚かれるかもしれない」
 「そうですか…」
 エーフェさんはすこしうなだれた。
 「変な意味ではないよ。陛下のお育ちになった世界に、外見上そっくりな食べ物があるんだが、それは甘い味なんだ。たぶん甘いと思って口に入れられるだろうから、驚かれると思うよ」
 「まぁ…そうでしたか」
 「辛さはもう少し押さえて…形ももっと小さくした方が食べやすいかもしれない」
 コンラッドはケーキを小さく切ると、手のひらに乗せてオレに差し出す。本当に見た目はチョコケーキなのだが、甘い匂いがしない。思い切ってかじりつくと、キムチみたいな味がした。
 キムチチョコケーキ?ねぇ、これってキムチ?焼肉ほしいんだけど。
 「…ネコにも不評みたいですね…」
 手にした手帳にコンラッドの言葉を書き留めていたエーフェさんは、ため息をついた。
 「陛下はあまり甘いのがお好みでないご様子でしたから、辛いものならばと思ったのですが」
 どうやら彼女なりに考えて作ったらしい。
 「そうだな…まんじゅうみたいなものにしてみたらどうかな?」
 「はい。作ってみます」
 なんだかなー…。好きな男の人に食べさせるっていうか…まるで料理道場?ちょっぴり愛●プみたいだ。しかし、ラブ・イズ・オッケー?なワケではなく、コンラッドはこんな調子で次から次へとエーフェさんが持ってきたお菓子を食べては、オレの好みがどうとかこうとかコメントを加えていく。
 つまり…なんですか?エーフェさんは、この大量のお菓子をコンラッドのために作ったんじゃないわけ?甘い手作りお菓子があって、傍にかわいい女の子がいるのに、雰囲気はとても甘くない。
 「ちょっと口の中が乾くから、食べにくいかもしれないな」
 「陛下はこの食感はお嫌いですか?」
 エーフェさんはひたすらオレのことをコンラッドに尋ねている。
 「嫌いではないと思うけど、あまり多くは食べないかもしれない」
 そーだね、嫌いじゃないけど口の中がもさもさするっていうかさ。芋食ったみたいに乾くんだよね。
 「ほら、コイツも同意している」
 コンラッドが軽く微笑んでオレを撫でた。エーフェさんは手帳を置くと、ドームの中からクッキーを取りだして、オレの前に差し出す。
 「ねぇ、ネコさん。コレはどうかしら?」
 それは見た目はふつーのクッキーだったが、食べたらミントな味がした。


 小さな黒革の手帳がかるく閉じられると、鈴の転がるかわいい声が満足げな笑顔とセットで、お菓子道場の終了を告げる。
 「それでは閣下、ありがとうございました。ご許可を賜りましたものは、次回陛下にお出しいたします」
 「ああ、料理長によろしく」
 「はい。ご指摘いただきましたご意見を参考に作らせていただきます」
 「頑張って」
 腹一杯にお菓子を食った男は笑顔も甘いのかよ…。オレは腹がふくれて、テーブルの上から動けなくていたから、首だけを動かして爽やかに微笑むコンラッドを見ていた。
 「ありがとうございます。やはり閣下が一番陛下のお好みを把握されておりますから、成功に早く結びつきます。この間のせんべいも閣下のご意見通りに作りましたら、お皿がからっぽになって厨房に戻って参りました」
 「ああ、陛下がおいしいって何度も言っていたよ」
 「本当ですか!料理人冥利に尽きますっ」
 エーフェさんは頬を染めて、今まで見た中で一番とびきりの笑顔で喜んだ。そっか…オレが休憩の時に食べているお菓子はこの子が作ってくれていたんだ。
 今まで誰が作っているかなんて気にしたことなかったよ。オレが食べることに一喜一憂する人がいるなんて思ってなかった。よくみれば彼女の指先はかすかに荒れている。若い女の子なのに。オレのために、おいしく食べてもらおうと研究してくれていたんだ。
 「閣下のおかげです、ありがとうございます」
 深々とエーフェさんは頭を下げる。コンラッドは困ったような顔でそれを止めた。
 「君の努力の賜物だよ。俺はなにも大したことはしてない」
 顔を上げた彼女はまたお礼を言うと、テーブルの上を片づけだした。
 「これからも精進いたします。しかし、ちょっと残念なのは、陛下がこちらにお越しの時には閣下にご試食いただけないことですわ。陛下の護衛でお時間がございませんもの」
 本当でしたら、すぐにでも陛下にお出ししたいのですけど、とエーフェさんが残念がる。
 「その代わり陛下がご不在ならば、手伝わせて頂くよ」
 どこまでも爽やかな笑顔でコンラッドが席を立つと、エーフェさんはすっかりテーブルの上をきれいにして、ワゴンの前で改めて頭を下げた。
 「ありがとうございました。それでは失礼いたします」
 静かに扉が閉まると、部屋の中は甘い香りと俺たちだけになった。コンラッドはベッドサイドの水差しから水を出すと軽くそれを飲み干す。そりゃあ、あれだけ食えば喉が渇くよな。オレも欲しいな…動けないけど。首を動かすと窓の外には爽やかな青空が見える。
 喉は渇いているけど、不快じゃない。むしろ体からいらない緊張感みたいなものが抜けて、ものすごくラクな感じだ。
 なんーだ…なんにもなかったワケだ。
 重たい腹とはうらはらに、オレの気持ちは爽やかだった。窓の外に流れる雲みたいに軽やかな気がする。バカだな…オレ。コンラッドがいくらもてようと、あんなに眞王廟を見つめるコンラッドに、女の子がつけこむ隙なんてないよな。
 ぼんやりしていたオレの上に大きな影ができた。
 「食べ過ぎでつらくないか?」
 そう言うとコンラッドはオレの前に小さな皿が置いた。ゆっくり起きあがると水が入っている。
 さんきゅー。欲しかったんだ。
 腹が重かったけど、喉が渇いていたからあっという間に飲み干した。
 「結構食べたから辛いだろう?お互い昼食はいらないな」
 ああ、ホントにね。
 頷くオレをコンラッドが軽く撫でる。
 「当代の陛下はここではない異世界のお生まれなんだ。そのため、食文化がここと異なるんだよ。それを気にして彼女はああやって研究しているんだ」
 え?
 「少しでも、こちらで過ごしやすいようにと努力しているんだよ。食べきるのは、大変だっただろうけど、つきあってくれてありがとう」
 そ…うだったのか…。オレ、たしかにここで食べるご飯やお菓子で困ったことって、そんなにない。あの子が、ずっと頑張ってくれてた?手を荒らすまで?あの子の努力を知っているから、コンラッドはあんな大量のお菓子を食べてたのか?
 オレ、何度か厨房に行っていたのに、全然気づかなかった。たぶん、見かけたことある。ああ、聞いてくれたらよかったのにっ。いくらでも答えてあげられ…あ、でも魔王に直接話しかけられないか。オレが厨房にいたときは、オレから話しかけないと、口をきいてくれなかったっけ。
 オレのために努力してくれていたのに、名前も知らなかった女の子。どんな気持ちだっただろう…厨房に出入りしているオレに尋ねたかったに違いない。思わず彼女が消えた扉を振り返る。前足を一歩踏み出して、オレは止まった。
 この姿じゃだめだ。
 なにを言っても伝わらない。元に戻らなきゃいけない。
 そして言わなきゃ「ありがとう」って。
 頭の中がぐるぐると回って、オレはどこにも足を踏み出せないでいた。すがるように見た窓の外には、いつの間にか大きな雲が青空を覆っている。その窓辺には大きな背中があった。
 コンラッド…。
 じっと外を見つめるその背中が、いつもより小さい感じがする。
 「ユーリ…」
 消え入るような弱い声がオレを呼んだ。
 オレは戻らなくちゃいけない、絶対に。




 なにより、この寂しい男を幸せにするために。


←5
→7


↓管理人へ一言↓
  





template : A Moveable Feast