死せる世界の涯で 2 | |
「すみません、陛下」 コンラッドが頭を軽く下げた。といってもコンラッドが悪いことしたわけではないし、ただちょっと明日はオレの警護からはずれるってだけで、おおげさなんだよ。 ことのおこりは、明日の予定を話していた最中だった。たまには城下に出かけたいなと思っていたけど、コンラッドに先約があったというだけ。どうしてもと1日だけ剣術教室の講師を頼まれて、断り切れずに引き受けることになっていたらしい。 コンラッドが頭を下げたまま動かないので、オレは慌てて声をかけた。 「いいって、コンラッド。それよりどんなことするの?」 野球の練習とかサッカーの練習なら、オレだって見当はだいたいつくけど、剣術となるとからきしだ。剣道と同じなら防具をつけてメーンってやるんだと思うけど、コンラッドもそんな感じで練習するのだろうか?オレが思いつくのは子どものころ行った1日野球教室だ。オレが師匠に出会ったみたいに、コンラッドに出会えることを楽しみにしている子がいるかもしれない。 「練習用の剣で対戦するんです」 「防具とかつけて?」 やはり剣道やフェンシングと同じ感じなのだろうか? 「ええ、戦場と同じ鎧を着けて戦います。そうじゃないと練習になりませんから」 「よろい?!サムライなの?!コンラッド?!」 頭の中で五月雛で飾る甲冑を来たコンラッドが日本刀を握っていた。なんでもソツなく着こなしそうなコンラッドだが、さすがに兜は似合いそうもない。どっちかというと中世ヨーロッパの騎士みたいな格好が似合いそうだ。それはさておき、甲冑なんて着たことないけどかなり重いって話だけど、あれ着て練習できるの? 「サムライってなんですか?」 コンラッドは軽く瞬きして、そう尋ねてきた。眞魔国でただ一人地球を知る男でも、さすがに日本の「サムライ」は知らなかったらしい。古い時代にいた兵士のことで、御恩と奉公の関係で、それでもって忠義を尽くして領主に仕えていたと説明した。微妙に違うかもしれないけど、もういないから文句はいわれまい。 「訓練ってことは教わりに来るのは軍人なんだ…ところで、鎧って重くないの?」 「それは多少重いけど、訓練してますからね」 は〜…眞魔国の兵隊さんって大変。そういわれてみれば、ヨザックはムキムキだし、グウェンダルもがっしりしている。あれは、その練習の賜物なのだろうか。ヴォルフラムは…大丈夫なのか?あいつが甲冑つけて刀を振り回す姿はなんだか想像つかない。 「それって、みんなやってるの?グウェンとかヴォルフラムとか」 「彼らは士官だから免除されてますが、グウェンダルはやってましたよ」 やはりわがままプーはやらなかったか。 「明日来るのは、各部隊から選抜された兵士なんです。いつもは俺の友人が講師をしているんですが、怪我してしまって。その代わりに1日だけ」 あ〜…ということは、コンラッドに会えるのを楽しみにしているのは、むつけきおにーサマ方なのか…ちょっと切ない。 「しかも朝から予定が入っているので、明朝はギュンターが起こしに参ります」 「わかった。じゃあ、頑張って」 手を軽くふって、オレはコンラッドを励ましてみた。こっちにいるときは、緊急事態でない限りはコンラッドが傍にいるのが当たり前だったけど、小さな子どもじゃないし、コンラッドだって仕事がある。それに危険な任務じゃないから、むしろ安心していた。オレの言葉を聞いたコンラッドの目が、少し寂しげに伏せられたような気がしたけど、瞼が軽くまばたくといつものさわやかな笑顔だった。 「な、な、なんであなたがここにいるのですかっ!ヴォルフラムっ」 頭上でいきなり大声が鳴り響いたから、オレの目はスイッチが入ったみたいにばっちり覚めた。見上げれば、美しい顔を赤くしてフォンクライスト卿ギュンターが肩を小さく震わせている。 「…なんだ…朝からうるさいぞ」 「しっしっし、しかもなんて破廉恥な格好でっ!」 「婚約者たちの寝床に押し入るとは。朝から無粋だぞ、ギュンター」 オレの隣で寝ていたヴォルフラムにさすがに起きたらしい。目をこすりつつ、片手を伸ばして起きあがると、いつものネグリジェが現れた。いくら美少年でもコレはないだろうとツッこんでいるんだけど、一向に変わらない。ひょっとして貴族の標準寝間着? オレはそんなことを思いながら、まだベッドの中でぼんやりしていた。いつも柔らかく穏やかな声でオレの朝は始まる。だけど今朝は、まるで蹴破るような怒声が朝を告げたせいか、その違和感にオレの寝ぼけた頭はまだしびれたような感覚になっていた。 「おはよう、ギュンター…」 「陛下、おはようございます」 ヴォルフラムと怒鳴り合っていたのが嘘のような静かな声で、オレに話しかける。ギュンターの切り替えの早さは、今朝も絶好調だ。 「お目覚めになりましたか?」 「あ…うん」 目を開けているのにぼんやりしたまま、とりあえずオレは起き出した。朝でも麗しいギュンターは、光線でも発しているのか瞳がきらきらとしている。つーからんらんとしている? 「ああ、陛下。まだ夢の中においでなのでしょうか?まどろみの残る瞳も憂いを含んだように麗しい」 朝っぱらからギュンターは詩人だ。つーか、寝ぼけたオレにそこまでの形容詞をつっつけるのは、彼くらいなものだけど。ちゃんと寝たはずなのに、寝たりないのかオレ?寝た子は育つなら、ぜひとも育って欲しい。つーか育って(希望)。 ―なら、もうすこしお休みになりますか、陛下? ふいにコンラッドの柔らかい声が頭の中で広がる。子どもをあやすような優しさがしゃくに障るような気持ちと、その優しさに甘えたくなるような気持ちが頭から背中へと抜けてゆく。ベッドの端で着替えようとしていたオレの手が思わず止まった。 「ユーリ?」 「陛下、そのように朝の冷気に柔肌をさらして…ぶふぅ!」 「ギュンター!ユーリは僕の婚約者だぞっ!勝手に見るな!ユーリ、お前もやすやすと肌をさらすな!」 遠くでヴォルフムの怒声が響くのを聞きながら、なぜだかオレはもう一度頭の中で聞いた声をたぐり寄せようとしていた。ここにいない男の声とあの笑顔を。 「ユーリ!!」 ものすごい勢いで体が横に引っ張られた。目の前には生命力に溢れた…というより苛立って燃えるような緑の瞳があった。 「なにをボーっとしているんだ?着替えるなら早く着ろ」 「あ、うん。…へっぶしっ!」 「そんな格好でいるからだ。早く着ろ」 泡立つ肌をジャージもどきな服で覆うと、ゆっくりと寒さが治まってきた。冷えた体を温めるためにも走りだそうとしたら、床に転がっているギュンターを踏んづけそうになって、飛び退いた。 「げっ!ギュンター?大丈夫なのか?」 朝から血の海地獄なギュンターは、頬を上気させて恍惚とした顔をしていた。昇天しそうなほど遠くをとろんとした目で見つめている。どっかからハレルヤ〜って合唱が聞こえてきそうな顔つきだ。 「お優しい…お言葉…朝から天にも昇る心地です…」 大往生? オレは人生15年の経験で新しい事実を知った。沈黙って音はシーンって音じゃない。ずーんって重たい空気がどーんって感じだ…長嶋さんみたいな言い方だけど。 このずーんどーんな状態が始まって3時間。オレの斜め45度には、フォンヴォルテール卿グウェンダルの重低音な存在感がどっしり構えて執務をしている。今日は護衛のコンラッドがいないため、護衛面強化ということで、グウェンが一緒に仕事をしている。それはそれでありがたいんだけど、この息苦しさってなんなんだろう? このあいだの魔笛探索以来、グウェンのことはそれほど嫌じゃない。トゲがあって、眞魔国似てねぇ三兄弟だと思っていたけれど、時折血のつながりってやつを感じるときがあるし、何よりグウェンが頭固いだけの嫌味なヤツじゃないってことがわかった。まだまだ初々しい間だからだろうか?初々しいっていうのもヘンだけどさ。今日も眉間のシワ寄せて書類めくっているグウェンをちらっと見てみる。 「なんだ?」 ちらっと見たのに、ばっちり視線がぶつかってオレは慌てた。 「いや、別に大したことじゃないんだけど」 「なんだ?」 最近気づいたけど、不機嫌そうにオレに応対するけれど、絶対グウェンは手を止めて相手に向き合う。尊大そうにみえて、結構礼儀正しい。 「喉かわかない?って思ってさ」 実際かなり乾いている。3時間飲まず食わずでずーっとサイン会なのだ。アイドルって大変なんだなと、遠い世界で痛感している。 「それは気づかなくてすまなかった…」 オレの言葉を聞いてグウェンはため息をこぼした。…呆れられてる? 「ええ、本当に申し訳ありませんっ!陛下!」 グウェンとオレの間を側用人みたいに行ったり来たりしていたギュンターが、オレの手をぎゅっと握りながら謝り出す。しかもうっすらと涙が浮かんでいる。 「いや、そんな泣かなくても…ギュン汁飛んでるっ飛んでるから」 いつもだったら、コンラッドがオーバーなギュンターをなだめてくれるけど、今日はいない。しかもグウェンはなにもないかのように、秘書を呼んでお茶をいれるように指示したりしている。それはありがたいんだけど、助けてくれ〜。 オレの声が届いたのか、ドアが軽く叩かれる。振り向くと目にも鮮やかなオレンジ色が目に飛び込んできた。 「ヨザック!」 「これはこれは陛下。ご無沙汰しております」 防具に身を包んだ彼は賢い獣のような笑みがにぃと上がった口端にたたえられていた。 ←1 3→ |