死せる世界の涯で 3 | |
回廊の外からは日差しがこぼれて、赤い絨毯の上にひだまりを作っている。そのぬくもりを軽く踏んで、ヨザックはゆっくりと歩いていた。オレはというとヨザックの後ろをやや早く足を動かしながら追っかけていた。やっぱりコンパスが違うと、回転数は変わる…くやしいけど。 「助かった〜って、顔してますね。陛下」 ヨザックは、軽く振り返るとにっと笑ってみせた。たしかにね、助かったと思ったよ。ずーんでどーんな重苦しい空気の中で、オレは酸欠の金魚みたいな気分で落ち着かなかった。 「ギュンターが泣くわ、グウェンは止めないわで大変だったから助かったよ」 ヨザックは軽く笑い声をあげた。ミス上腕二頭筋の筋肉は今日も隆々で、がっしりした体は防具で固められている。まるでRPGの剣士みたいな格好だ。 「ヨザックがコンラッドの剣術教室を受けているとは知らなかったよ」 「剣術教室なんて言ったんですか?」 「違うの?」 コンラッドの話では講師が生徒を指南するようなイメージだったんだけど。どうやら違ったらしい。 「まぁ…実際見ればわかりますがね。それよりこれでもかぶってて下さい」 頭からかぶさったものを手に取るとうさぎの耳がついたピンクの毛糸の帽子だった。なぜにバニーガール?オレにはちょっと大きめだ。 「陛下がお越しとなったら、会場がちょっとした騒ぎになりかねませんからね」 何を隠そう王様なわけだから、臣下としたら突然現れたらへへぇ〜っとひれ伏しちゃうかもしれないってことか?別に隠しているわけじゃないけど、こっちに来たときにおにねーさんたちにもみくちゃにされたことを思い出して、オレは帽子を深くかぶった。黒髪かくしにはもってこいかもしれない。 ヨザックは長い回廊抜けて、来たこともないほど血盟城のはじっこまで歩いた。ドア越しに金属音が小さく聞こえると、突然振り返って念を押す。 「いいですか、大声たてちゃだめですよ」 まるで、七匹のこやぎのおかあさんが出かける前に諭すような言葉だ。 「う、うん」 「それと、オレの傍から離れないでくださいね。なにかあったら殺されちまう」 「わかったよ」 誰に?と思ったけど、とりあえずオレは頷いた。オレの返事を聞いて、ヨザックは扉をゆっくりと開けた。光とともに鋭い音が目の前に飛び込んで溢れる。 まぶしさがおさまると、目の前にヨザックの広い背中があって、とうせんぼのように立ちはだかった。その影から小さく顔をだすと、ざっと50人くらいの男達が石畳で出来た丸い舞台を取り囲んでいた。けっこう広くておおきな舞台の上によく知っている男を発見。 「次」 ヨザックみたいに剣士な格好をして、コンラッドがいつになく厳しい表情で短く告げる。みたいじゃなくて剣士か。剣豪ひとすじ80年。しかし、なぜ胸にミニバラがついているのか謎だ。 「太刀筋はいいが、次の攻撃に移るときに軽く視線が動く。相手に攻撃を読まれるぞ」 よくみれば舞台上には、男の人が尻餅をついていた。コンラッド同様に防具をまとった彼は、ありがとうございましたと言うとふらつきながら舞台から降りた。入れ替わるように、別の男がコンラッドと剣を構えて打ち込みはじめた。 「対戦形式なのか?」 こっそりと小さくヨザックに尋ねる。 「ええ。鎧の胸に花がついているのが見えます?あれを散らした方が勝ちです」 ヨザックは視線をはずさずに、まっすぐ前をみたまま教えてくれた。たしかに両者の胸にバラ。ガキンっと中央で剣が鳴る。相手はコンラッドより上背があるが、コンラッドは相手の剣を受け止めて引くことはない。 「なぜにミニバラ?」 「小さな目標だからこそ、相手から奪うのは難しいからですよ」 相手から力いっぱい打ち込むと、コンラッドの剣がそれを薙ぐ。一度その手にある剣を持ってみたことがある。重くてとても振り回せるものじゃない。コンラッドは軽く片手でそれを振った。 ギンッ 刀から悲鳴が上がる。 「ヨザック、あれって本物の剣?」 コンラッドが相手の打ち込みを交わすと、剣が白くひらめいて、相手のむき出しになった胸元を撫でるように滑った。 「いいえ、刃はつぶしてありますよ。ただし、重さも鎧も実戦用ですがね」 相手の花が青空に散ると、周りからどよめきが上がった。 「力んで早く済ませようとするから隙が出来る。力に頼りすぎだ。次」 コンラッドの一言批評を聞くと、相手は無言で頭を下げて立ち去る。肩で息をしているから仕方ないか。コンラッドは、結構涼しげに…というか、冷たい表情をして新しい対戦者を舞台上で待っている。勝ったのにちっとも嬉しそうじゃない。 しかし、いつまでコンラッドは戦っているんだろう?トーナメント?勝ち抜き戦なのだろうか? 「コンラッドは交代しないの?」 「しませんよ。ただし負けた場合、懲罰がありますよ」 うう…罰ゲームでもあるのか?ハゲヅラかぶって町中歩くとか?もしかして、うさぎとびで階段上がるとか…たしかにそれは必死になるよ。 ヨザックの後ろからこっそり覗くと、次にコンラッドの相手になった男が舞台上に登場した。アメフトマッチョほどではないけれど、小マッチョな男だった。これが結構動きが早くて、コンラッドの剣は防衛気味。 剣が繰り出されるたびに、鈍い音があたりに響く。それを受けるコンラッドの表情が少し険しい。ひょっとしてやばい? 「やるな…」 ヨザックがいつになく真剣な面もちでつぶやいた。たしかに素人なオレから見ても動きがいい。相手は反撃を許さない勢いがある。何度目かの打ち込みで、切っ先がコンラッドの頬をかすった。じわりと血が頬にわき上がるが、コンラッドはなにもなかったかのように、目の前だけをにらんでいる。 「あっ!」 オレはヨザックの注意も忘れて、思わず声を上げてたが、誰もかれもが舞台上に釘付けだった。刃はつぶしてあっても当たれば痛いし、傷にもなる。 本当にやばいかもしれない…。オレがヴォルフと決闘したときよりも危険な感じがした。こんなに真剣でこわいくらいのコンラッドは見たことがない。いつも笑顔で余裕のある顔しかみたことがない。 じんわりと背中が湿って、オレに危険を知らせる。オレが敵と対戦している訳ではないのに、背中に冷たいものを感じる。コンラッドが剣を振るうのを見たのは、今までで2度くらいだ。いずれもアーダルベルトとだったけど、長く打ち合うことはなく、いつでも相手が逃げていた。その時のコンラッドを思い出そうとして、オレは気づいた。 いつもコンラッドは背中でオレを守っていたから、背中しか見たことなかった。こんなコンラッドは、目の前の相手を狙う獅子のような顔をしている彼を見るのは、初めてだった。 「くっ!」 相手に出来た小さな隙をコンラッドが見逃さずに、胸のバラが散った。 「陛下?」 「ん?」 ヨザックの視線がオレの顔から少しずれている。みれば、オレはヨザックの腕をぎゅっと握っていた。 「ご、ごめん」 ぱっと離すと、ヨザックはニッとわらった。 「怖かった?熱烈に握られたから、ドキドキしちゃいましたよ」 ヨザックの軽口で、オレは肩から力が抜けた。怖かったかな?違う気がする。アーダルベルトに殺されかかったけど、その時のヤバさとは違う気がするし。でも、 「怖かったかもしれない」 「ん?」 コンラッドの額にうっすら汗がにじんでいる。あれだけ動き回れば当然なんだけど、それとは対照的にどこか冷たい表情をして舞台に上がる相手を見つめていた。こんなコンラッドをオレは知らない。 「コンラッド、知らないやつみたいだ…」 ぼんやりつぶやいたオレの言葉をヨザックが優しく返した。 「昔はあんな感じでしたよ」 オレの知らないコンラッド。舞台の上で相手を待つ孤高な獅子は、鋭く相手を見つめながら相手に斬り込んでいく。名付け親だけど、ずっとコンラッドと一緒にいたわけじゃない。オレの知っているコンラッドは、ほんのちょっとだ。そしていつでも笑顔だったし、背中しか見えなくても、コンラッドがどんな顔しているかなんて見えなくてもわかっていた…はずだった。 昔のあんたはあんな風だったのか?強いけど、そんなに冷たい目をしていたのか?言葉にならないオレの問いかけをなぎ払うようにコンラッドが相手のバラを散らす。低い歓声の上がる中、コンラッドは勝ったのに、にこりともしない。つまらなさそうな、無表情のままだ。 なぁ、コンラッド、あんたを変えたものって何? 結局、コンラッドは無敗のまま勝ち続けた。ヨザックも長く打ち合ったけど、最後にはバラを奪われた。 「せっかくイイところをお見せしたかったんですがねぇ」 その割に悔しくなさそうだった。むしろ楽しそうな顔してるくらいだ。オレはヨザックに付き添われながら、日が落ちて暗くなった廊下を戻っていった。昼間はあれだけ温かだった回廊は、薄闇の中でどこか冷ややかだった。その中に昼間見たコンラッドの顔が浮かぶ。 「どうしました?坊ちゃん?」 のぞき込んだオレンジの髪が回廊に灯された灯りに映えた。 「え?別になんでもないよ」 「そうですか?いつもみたいに無駄な元気がないですね」 「無駄ってナニ?!オレは元気だよ!たしかにカラ回ってるかもしれないけどねっ」 ヨザックはどんな元気でも元気はいいことですよと笑う。ぜってー誉めてないよ、それ。 「撃ち合い見てるあたりからいつもの元気がなかったので、ちょっと心配してましたが、大丈夫そうですね」 心配してくれていたらしい…全然みえなかったけど。 「びっくりはしたけどね、訓練っていつもああなわけ?」 「あれは特別ですよ、毎回やってたらみんなバテちまいますよ」 たしかに。みなさん、練習のわりにかなり本気で斬り合ってた。 「もしかしてコンラッドに勝ったら、なにか特典とかあるの?」 「ありますよ、休暇と今年は特別に陛下グッズがもらえます」 「陛下グッズ?ちょっと待て、オレのなに?」 オレの知らないところで、プロマイドとかサインとか人手に渡っているのか? 「もらってからのお楽しみvってふれこみなんで中身知らないですけどね」 もらって楽しいのか?それ。ただ休暇はうれしいよな、うん。だからみなさん本気だったわけだ。あれ? 「じゃ、コンラッドは?全勝したけど、休暇とかもらえないの?」 「師範はないですよ。もしかしたらグッズはもらってるかもしれませんけどね」 聞いてみたらいかがです?なんてヨザックは笑う。知りたいけど、なにが入っているか見るのが怖い。 あこがれの選手のサインボールとか色紙とかだったら嬉しいけどさ、オレのサインってどーよ?百歩譲って使えるものだったとして、誰かの使用済みグッズで嬉しいのは、トップアスリートくらいなもの。まぁ、野球人口からすると現在オレがダントツトップなんだけどね。 「なに入ってたんだろ?」 「さぁ〜、陛下グッズとだけしか知らされてませんからね。肖像画とかですかね?グッズってことは、使用済み歯ブラシとか靴とかパンツとかかもしれませんケド」 「げぇ〜、この平均的で典型的な日本男児な顔の肖像画もらってどーすんの?つーか使用済みなパンツって…男のパンツなんて、いらないって!」 というか、それはブルセラ。 夕食の席には、コンラッドが戻ってきた。さっき見たのに、長く会ってなかった感じがするのは、なぜなんだろう?コンラッドの頬には治してもらったのか、傷ひとつない。一日中猛者と立ち会った割に涼やかでさわやかな顔つきで、それはオレの知っているウェラー卿コンラッドだった。 「オレの顔になにかついてますか?」 「…目と眉がふたつに鼻と口がひとつ」 「はぁ?」 その目に獅子はもういなかった。 夕飯の後にキャッチボールをもちかけたのは、コンラッドの方からだった。魅惑的なお誘いなんだけど、あれだけ試合しまくった後だと疲れてないかと思ったけど、コンラッドはさわやかな笑顔で大丈夫だと言う。まさにスマイル0円。 軽く投げてボールは白い軌跡を描きながら、コンラッドのグラブに吸い込まれる。コンラッドも軽く投げ返すと、いつもの穏やかな口調でオレに話しかけた。 「公務はいかがでした?」 「ちょっと大変だったけど、いつもどおりだったよ…けっこう大変なこともあったけど」 コンラッドに取りやすいように、いつも以上に正確にボールを投げてみる。コンラッドの頭上で小気味よくグラブが鳴った。 「どんなことがあったんですか?」 「朝はギュンターの絶叫で始まって…よっと」 コンラッドが投げたボールが、ちよっと横に流れた。 「すみません、陛下。あぁ、ヴォルフラムがまた寝てたんですね」 「そうそう、って陛下って呼ぶな。名付け親。で、その後なぜかギュンターが鼻血を出して倒れたんだ」 「つい癖で…朝から災難でしたね」 コンラッドの顔は、いつものように笑っている…という苦笑している。 「その後、執務はグウェンとギュンターと一緒にやったんだけど、グウェンがギュンターの暴走を止めてくれなくて…」 「それは災難でしたね…というか主にギュンターで困ったんですか?」 そう言われたらそうかも。他には、柔軟を手伝ってくれる人がいなくて困ったとか、休憩を入れてくれる人がいなくて困ったとか、あと言いたいことをうまく繋いでくれる人がいなくて困ったんだけど。つーか全部コンラッドがいなくて困ったんだけどね。 「コンラッドは?」 「まぁ、ふつうに。つつがなく終わりましたよ」 「それだけ?」 アレ、ふつーでつつがないってレベルじゃないと思うんだけど。オレの投げたボールが、自分の意志で飛んでいくかのように、コンラッドに届く。その球を手のひらに握ったコンラッドはすぐに投げなかった。 「実はちょっと落ち着きませんでした」 へ?いつも冷静なコンラッドが? 「コンラッドでもあせるの?」 えぇと答えて、コンラッドがボールを投げる。 「ユーリは今頃どうしているかなとか…」 「オレ?!」 しかもそれはあせること? 「早く終わらせたくてむきになってました」 外に据えられた灯りが夜を少しだけ和らげる。それでもちょっと離れたコンラッドの顔は見えづらい。だけど、今のコンラッドならどんな顔しているか、オレには解る。いつものように優しい目を少しだけ細めて笑っているはずだ。 なんだかそれを確かめたくて、オレはコンラッドの近くに寄った。オレとコンラッドの間にある薄闇がゆっくりと消えてゆく。ぼんやりしたいたコンラッドの顔がはっきりと見えた。ほら、やっぱり笑っている。 「実はこっそりのぞきに行ったんだ」 妙にほっとしたオレは、するっと見に行ったことを白状した。 「俺のところにですか?まさかひとりで?」 コンラッドの眉が小さくひそむ。 「いや、ヨザックがちゃんとそばにいたよ。…ちょっとびっくりした」 コンラッドは無言で先をうながした。 「オレ、今まで守ってもらっててなんだけど、結構危険なことさせてるんだなって」 語尾が夜の闇の中に溶けるように消えてゆく。言った後で「まずいこと言っちゃったかな?」って感覚だ。 「あなたを守るためでしたら、どんな危険も厭いませんよ」 コンラッドの揺るぎない声に、オレは弾かれたように顔を上げると、真摯な目とぶつかった。 「だけど、コンラッドが危ないだろ」 それは嫌なんだ。剣の切っ先が当たって、血を流した昼間のことを思い出す。オレはタオルがあったらリングに投げてた。絶対に。 「そのために訓練しているから、まぁ簡単には死にませんよ」 コンラッドはさわやかに笑う。前にも見た顔だ。オレに腕でも胸でも命でもって言ったときとおなじだった。同じだけど、夜のせいなのか笑顔が遠くに感じて、コンラッドが遠くへ行ってしまいそうでこわい。 「ユーリ?」 「やっぱオレ、剣の訓練しようかな…」 すくなくとも多少できれば、コンラッドの手を煩わすことは少なくなる。そしたら危険も減るし。 「練習するのは結構なことですが、それよりユーリにしか出来ないことをしてください」 「オレにしかできないこと?」 「眞魔国を守るって子ども達に約束しましたよね」 たしかに。かなり大層な約束をした。 「けどさ、コンラッドを危険にさらしていることに変わりないよ」 「適材適所ですよ。それを取り上げられると俺は失業です」 うう…日本国憲法にも職業選択の自由って定められているから、コンラッドに転職しろとはいいづらい。 「まぁ…俺の代わりはいるかもしれませんが」 「コンラッドの代わりなんていないっ」 頭が言われたことを拒絶している。思わずグラブを固く握ってしまい、きゅっと音を立た。 「今日だっていなくて困ったんだからなっ!朝だって全然目覚め悪いし、柔軟手伝ってくれるヤツいないし、話しかけようと振り返ったらいないしっ!仕事してても全然進まないし、誰も休憩しましょうなんて言ってくれないし、オレの言いたいことうまく伝わらないし、ずっと一日中落ち着かないし、ものすげー困ったんだからなっ!!」 なかにちょっと違うのも混じっていたけど、オレは爆発するようにまくし立てた。コンラッドは驚いたように聞いていたけど、最後はすみませんと謝った。 「落ち着かなかったんですか?」 あう。 「…落ち着かなかったよ」 「それはすみませんでした」 「明日からはいるだろ?」 「ええ、そばにいますよ」 もう中にはいりましょうか?とコンラッドが言ってキャッチボールは終わった。ゆっくりと光のある方へと歩く。ちらっと見上げると、コンラッドの横顔がはっきり見えた。ただ見えただけなのに、ほっとしているオレがいる。それがくすぐったくて、ごまかすように、手の中でくるくるとボールを転がすと、誰だか解らねど大リーグ選手のサインが見えた。 「なぁ、コンラッド。今日の剣術教室の勝者の特典がオレのグッズだって聞いたんだけど…」 中身を知るのはちょっと怖いが、どんなものが人手に渡ろうとしていたのかは気になる。 「ええ。結局俺が貰いましたけど」 「貰ったの?!なんだったの?」 「ギュンターの『春から始める夢日記(改訂版)』でしたよ」 それ、オレのグッズじゃないじゃん!! ←2 →4 |