死せる世界の涯で 4



 あ。
 オレは逃げるように首をよこに向けた。執務室の椅子にどっかり座ったオレの逃げ場なんて、ほとんどない。目は目の前にあるグウェンがつくった白ブタならぬライオンの編みぐるみを見つめているのに、オレの中ではコンラッドがゆっくり近づいているのが判る。
 オレってば千里眼?!オレの魔力が開花したのかはともかく、オレは居心地の悪いようなバツが悪いような気持ちがしてきた。
 そんな気持ちになるのは、先日コンラッドとキャッチボールしているときに言った言葉が、オレの中でまだ刺さったように痛んだからだ。気になるんだよな…コンラッドの言葉。自分の代わりはいるってどーゆーことだよ?それって、コンラッドがオレの護衛をやめるかもしれないってこと?
 そう思うとものすごく不安とものすごくいてもたってもいられない気持ちになる。ちょっと不格好なライナちゃんをすがるように見つめた。
 無情にもライナちゃんは何も答えてくれず、つぶらな瞳でオレを見つめている。コンラッドはオレの名付け親だし、こっちに来てからずっと一緒だった。だから、これからも一緒だと勝手に思ってた。
 でも、オレだって知らないコンラッドの顔がある。というか、あるんだなって思った。いつも見ている好青年なコンラッドにだって、獅子の顔がある。先日見たどこか冷たい表情のコンラッドを思うと、体の中に痛みに似た感覚が蘇る。
 オレが知らないコンラッドのことだっていっぱいある。たとえば大事なものがあるだろうし、オトナの事情だって色々あるだろうから、いくら護衛だからってオレばっかり構っていられないはずだ。しかし、オレがここにいる間は、24時間ずーっとオレにつきっきり。いくら仕事だからって、やるのは大変だよな、うん。自分の時間だって欲しいだろうしさ。コンラッドはなにも言わないけど、かなりもてるらしいから、彼女の一人や二人がいたっておかしくない。いや、二人いたらまずいか。
 ヴォルフは恋人同士じゃないって言ってたけど、コンラッドが慕っていたらしきジュリアさんって女性が亡くなってから20年は経っている。別のところでひと花だろうが、ふた花だろうが咲いたっておかしくない。…やはり、ふた花はまずいか。
 「お茶をここに置きますよ、陛下」
 ソーサーとカップが小さな音を立てて机に置かれた。
 「あ、ありがとう」
 まさか千里眼されているとは思ってないコンラッドをちらっとみる。先日、冷徹な獅子の顔つきで斬り合いしていたとは、これっぽっちも思えないさわやかな笑顔だ。それをオレに向けるとゆっくりと離れて、いつものように壁に近づいてゆく。そして、オレから遠くない場所に寄りかかるように立つ。ただそれだけなのに、かっこいい男はなにしても絵になるよな。男としてくやしいが、コンラッドを見ると認めざるを得ない。もてる…だろうな、しゃくだけど。
 聞けば、いいのかもしれない。
 コンラッドの存在を左ななめに感じながら、オレはぼんやりそう思った。どこか行くのか?とか、オレにいつもくっついてて私生活的に大丈夫?とか。でも、優しいコンラッドは、きっと「大丈夫ですよ」なんて笑顔で答えるに決まっている。なにが大丈夫なのかはともかく、きっとそう言う。でも、それってどーよ?
 かち。
 ちょっとむかっ腹立ちながら、ソーサーからカップを持ち上げたらカップが不満げに鳴る。オレは釈然としない気持ちのまま、コンラッドが淹れてくれたお茶を飲んだ。さわやかな香りが口に広がって、喉を潤してゆく。なのに、体がなぜか温まらなかった。


 どうしたら、うまく伝えられるだろうか?
 コンラッドは、目の前で自分が渡したお茶を飲む魔王のつむじを見ながら、そう感じていた。ここ数日の有利はなにやら一人で考え込んでいるのは明らかだった。さっきも陛下と呼んだのに、いつもの「陛下って呼ぶな、名付け親」という反論がなく、慌ててように礼を言われただけだ。
 ユーリが悩ましげなのは、あの夜からだ。キャッチボールをしながら、自分が言ったなにげない一言に、ユーリがかみつくようにそれを否定した夜。

 コンラッドの代わりなんていないっ!

 傷ついたような顔でそう叫んだ彼は知らないだろう。その言葉が、呪文のように今も体を熱くすることを。
 自分の代わりなど要らないとばかりに怒っていた。彼の中で、自分の存在を強く感じた時、体の奥でわき上がる感情とその言葉と態度がもたらす喜びが体の中で熱に変わる。だが、コンラッドはその喜びを鎮めるように目を閉じた。
 これだけで充分だ。そうだろう?
 暗い視界に向かって、コンラッドはそう問いかけた。
 あなたにそう思われただけで、俺は果報者です。これからもおそばにおります。
 そう言ってやればいいのだろうか?だが、ユーリがそれで納得するような気がしない。あの優しい少年は、人の痛みや悲しみも救おうとするところがある。しかし、俺が言った言葉であなたが悩んだり、苦しむことなどない。
 暗い中で白く輝く笑顔が淡く浮かぶ。消えるおもかげを追いかけるように、コンラッドは目を開けた。
 そう、俺のみたいなやつのために、二度と道を間違えることはない。
 いつのまにか強く自分の腕を握りしめていた手から力を抜く。100年生きても、まだうまく気持ちを言葉にすることができない。
 どういえば彼の憂いを晴らすことができるだろうか?目を開いた先にいる魔王は、悩ましげな気持ちごとため息まじりにお茶を飲み干そうとしていた。


 「陛下?ひょっとしてお疲れなのではございませんか?」
 ギュンターが長身の身を少しかがめて、有利をのぞき込むように声をかける。
 「へ?そんなことないよ。まだやれるって」
 「本日中にご決済いただかなくてはならない書類はすべてご裁許いただきましたから、ご無理をなさらずともよいのですよ?」
 オレの目の前にうずたかく積まれた一山はたしかになくなった。ご無理ってわけじゃないんだけど…。
 「それに今日だけで6回もため息をつかれておいでです。憂えるお姿もより一層、陛下の美しさを際だたせておりますが、やはりお健やかなのが一番ですし…」
 「へ?ため息?」
 ギュンターのイカレた美意識はともかく、ため息なんてついてた?驚きのあまり、思わず首を回してコンラッドをみてしまった。壁にもたれた名付け親は、やさしい顔つきのまま近づいてくる。
 「回数までは把握してないけど、たしかについてましたよ。ため息」
 「昨日は8回です。どこか具合でも?国一番の医師を呼びましょうか?」
 「へ?病気なんかじゃないよ!オレ、健康優良児だし」
 たしかにスポーツマンは病気に弱い。だから健康については、結構気を付けている。うがいと手洗いは基本だ。おかげで、熱もないし元気そのものなんだけど。
 「まぁ…今日はこのへんでいいとギュンターが言っておりますし。陛下、キャッチボールでもしませんか?」
 実に魅惑的なお誘い。しかもスマイル0円だ。ずっと喉にひっかかっているホネみたいな弱音を救ってくれるような笑顔に、オレは甘えそうになる。でも、それを飲み込んだ。
 「のった!」
 そんな気持ちが消えるように、オレはなるべく元気に聞こえるように大きな声で答えた。


 「はー…今日もよく働いた…いてっ」
 風呂でしっかり温まった体をキングサイズなベッドに投げ出した。ほどよい弾力がオレを受け止める…はずが、中にあるなにかにぶつかって痛かった。
 「痛いぞユーリ」
 「なっ!ヴォルフラム!お前また!」
 ピンクにふりふり〜なネグリジェ姿のヴォルフラムがシーツの中から顔を出す。思わずオレは飛び退いて、ベッドの外に出た。いつもいつもどーゆーワケなんだか…。美少年ヅラした82歳は、すっかりオレのベッドに寝るようになっていた。広いベッドだから野郎二人が充分に寝れるんだけど、その格好と寝相はなんとかしてくれ!
 「婚約者なのだから、別に照れることはないだろう?」
 「だから、俺たち男同士でおかしいだろうがっ」
 「そんなことより、ずっと立っていると湯冷めするぞ」
 推定6回目くらいのツッコミもさらっと流された。この世界に来ていろいろな経験しているけど、この感覚のズレってやつはまだなじめない。肩からがっくりと力が抜けて、ため息がもれた。あ、ほんとにオレってばため息をついてる。というか、これはギュンターのカウントしている無意識のヤツじゃなくて、絶対にヴォルフラムのせいだと思う。
 「なんだ。まだ悩んでいたのか」
 へ?
 顔を上げると、ヴォルフラムが起きあがって神妙な顔つきでオレを見つめた。
 「…お前は、この世界が嫌いなのか?」
 元プリ殿下は格好はともかく真剣なまなざしでオレに話し出した。
 「突然自分のいた世界や家族から切り離されて、たしかに戸惑わない者などいない。誰だってそれは同じだ」
 「ヴォルフラム…」
 あの日オレが帰れなくなって、オレがパニクった時以外ヴォルフラムはこの件についてなにも言って来なかった。その代わり、ずっと絵につきあえとか馬の乗り方を教えてやるとか言って、オレをあっちこっちに引きずり倒していた。ひょっとしたら、ひょっとしたらだけど触れないことで、ヴォルフラムなりに気を遣ってくれてた?
 「たしかにユーリにとっての故郷は、あっちの世界かもしれない。でもここもお前の魂の故郷なんだぞ。いいところだっていっぱいある」
 いつになくヴォルフラムの言葉が静かにオレの中にするっと入ってくる。ものすごくまっすぐで、いつもみたいにとんがったところとかない優しさがそこにあった。
 「第一、この国の王になると自分で決めたのではなかったのか?」
 そうだよ、自分で決めたんだった。
 「嫌いじゃないよ、オレ」
 ベッドのはじっこに座ってちょっとだけヴォルフラムに近づいた。
 「この国、全然嫌いじゃないよ。というかむしろ好きだよ。そりゃあ、習慣とか考え方とか、全然違うけど嫌いじゃないよ。たださ…」
 「なんだ?」
 いつもだったら「なんなんだ?!」とキレるヴォルフラムが、静かに先を促した。オレは、慌てて自分の中にあるカタチになりきれてない感情をつかむように、手を握りしめた。今までコンラッドにだって言ったことない気持ちをどうやったら、ヴォルフラムに伝えられるだろう?
 ちゃんとオレの気持ちを受け止めようとしてくれている彼に、うまく伝わるように言葉を選びながら口を開いた。
 「つまりさ…その…オレ、なにも言わないで色んなものを置いて来ちゃったから。家族とか友達に何も言ってなかったからさ」
 ヴォルフラムは、まっすぐオレを見ている。まっすぐすぎて、オレはおもわず目が逃げた。でも、ちゃんと言わなきゃいけない。うまく言葉がヴォルフラムに届くように祈りながら、オレは両手の指を組み合わせた。
 「魔王になったことすら言ってないんだ。それなのにオレはコッチに消えて…なんていうか…いつもそばにいて言いたくても照れくさくって言えなかった気持ちとか、全部伝えられなかったからさ。ちょっと後悔してる」
 ぎゅっと握りしめた手の爪がうっすら白い。オレは無言で聞いているヴォルフラムの顔見れないでいた。
 「それならば伝えればいい」
 は?
 思わず顔を上げると、そこにはいつものヴォルフラムがいた。鼻先でふんと笑いそうな高ビーな王子様が、フリフリのネグリジェ姿で腕組みしながらそう答えた。
 「別にこの先ずっと帰れないとは限らないだろうが」
 …………たしかに。
 「なら、その気持ちを伝えるのはまだ遅くないんじゃないか?」
 ……………………………………ソウデスネ。
 たしかに絶対に帰れないとは誰もいってない。今回は滞在時間が長いといえば長いんだけど。ということは、別にもう絶対に日本にいる家族や友達に会えないというわけではない。……ひょっとして、オレってば深刻に考えすぎ?
 ヴォルフラムはあくびをすると、用は済んだとばかりにベッドの中に潜った。
 「お前はこの国の王だが、故郷が2つあったっていいじゃないか。別に誰もお前にどっちかを選べなんて言ってない」
 「ヴォルフラム…」
 態度はいつものわがままプーなのに、言葉がどこか温かい。やっぱり心配してくれていたんだと思うと、この憎たらしい態度もどこかかわいいものだ。なんだよ、もうちょっとわかりやすくしろよとは思うけどさ。
 「そんなことも気づかないとは、やっぱりお前はへなちょこだ」
 「へなちょこいうなー!!」
 前言撤回。
 やっぱプーはプーだ。オレはヴォルフラムをベッドからたたき出した。


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