死せる世界の涯で 6



 娯楽員。もといご落胤。
 思いも寄らない言葉に、思わず意味を確認したくなった。
 【落胤】身分の高い男が、正妻以外の身分の低い女性に生ませた子。おとしだね。
 じゃあ、俺の母上のように身分が高い女性が流人の子を産んだらどうなるんだろう?
 コンラートは冷静に心の中でツッコミを入れてみた。
 ユーリが純粋な魔族でこちらで生まれ育ったならば、彼の外見年齢くらいで物理的に子供がいてもおかしくない。ただ、ユーリは人間と魔族のハーフであり、15歳と11ヶ月ほど異界に生まれて育ってきた。こちらにいた時間では、いくらなんでも恋に落ちるどころか出会いもない。嘘であることは明白だった。まぁ、不可能ではないけれど、生まれるにしては早すぎるし、まず当人が名乗れないだろう。
 それに…。
 コンラートは、兵士が告げた言葉を理解できていない少年王を見つめた。きょとんとした顔には、少し困惑の色が混じっている。彼の全てを知っている訳ではないが、ひとつ確信があった。
 彼にはまだ女のニオイがしない。女を知っているオスとしての男の匂いが全くと言っていいほどしていないのだ。それをまだかぎ分けられないヴォルフラムが、魔王の胸ぐらをひっつかんで怒鳴りつける。
 「ユーリ貴様っ、どこで産んだ?!どこでいつ、いつの間にっ?!」
 男は産めないよ、と制止する間も与えないほど有利を揺さぶる。
 「な、なに、産んでない。産んでませんったら!」
 鬼気迫るヴォルフラムの様子に、有利はかなり焦った様子だ。
 「産んでいないということは、どこで作った?!」
 それを最初に聞くべきだろう。弟の性的知識のレベルを兄として、ちょっと心配しかけた。82歳にもなって、子供はグジボキゴドラが運んでくるとまだ信じていたら、ある意味大変である。
 「なっ、うっ何も、作ってませんッ!だからゴラクインって何?!」
 言葉自体知らなかったか。
 まだまだ子供の魔王に意味をご教示したところ、やっと事態の深刻さを認識したようだった。
 「貴人にご落胤って、おれに隠し子がいたってこと?!」
 「その疑惑が」
 隣にいたギュンターが声もなく後ろへ倒れた。改めて魔王陛下自身に言葉にされて、ショックだったらしい。
 「うわっ、ギュンターがっ」
 倒れた王佐に駆け寄る間もなく、有利は再びヴォルフラムにの胸ぐらを掴まれた。
 「なんてことだッ!ぼくの知らない間にそんな好色なことをッ!」
 「すごいわユーリったら、虫も殺さないような顔をして」
 ニコラが心底驚いたような顔をしながら、さらに追い打ちをかける。
 「蚊やゴキブリを殺しても子供はつくってませんおれは!」
 「で、そのご落胤の君とやらは今どちらに?」
 冷静な者が誰もいないので、コンラートが兵士に尋ねるしかない。どんな目的で魔王に近づこうとしているのか、知らねばならない。戦争から20年の月日が経ったが、未だに国民の疲弊と傷は深い。その上、玉座の交代で国内の世情はまだ不安定だ。前摂政シュトッフェルはシュピッツベーグ城に蟄居処分となったが、そのまま黙って引き下がるとは思えない。
 「実はもう…ここにいらしております…歴代魔王陛下とそのお身内しか継がれないという眞魔国徽章をお持ちでしたので…」
 兵士の戸惑う言葉に、コンラートは目を細めた。
 徽章…ということは、本格的に「政治的問題」かもしれない。未だ新徽章は発行されていないのだから。問題は誰の徽章を持ってきたかということだ。
 それが解れば、黒幕が誰か解る。コンラートが無意識に手を固く握った瞬間、倒れていたギュンターが跳ね起きた。
 「でしたら、そのガキ…いえご落胤候補は、陛下のお子様ではありません!」
 「では誰の、どの家の章を持っていたんだ…あっ、まさかまた新たな兄弟の出現ってわけではなかろうな?!」
 それも捨てがたい可能性だ。しかし、ツェリは恋多き女性ではあるが、子どもを認知もせずそのままにするような非情な母ではない。事実、コンラートの時でさえも身分の格差も恐れず公表したのだから。
 「どいつが…」
 制止する間もなく、ヴォルフラムが荒ぶった感情のまま扉を開く。その開かれた空間に、兵士よりも後方の廊下に小さな赤茶の巻き毛の少女がいた。オリーブ色の肌には見覚えがある。コンラートは記憶を辿り、遠い日父と旅した日々を思い起こした。様々な土地と文化、今の生活よりも不安定だが好奇心がくすぐられた日々だった。おぼろげな記憶の中に、少女と似た肌の色をもつ人がいたことを思い出す。たしか…スヴェレラ。その地方の小さな皇国の民族にみられる特色だ。
 「ちちうえー!!」
 その小さな体からそう叫び声が発せられて、飛び出した。転がるように早く、魔王のもとへと。
 まだ少女が何者かもわからない。どんな目的なのかすらも。ただ「それ」を近づけさせるわけにはいかなかった。しかし、有利は両手を広げて少女を迎えようとしている。
 どんな相手でも、きっとそうする。いつもは誇らしい彼のその分け隔て無い優しさが忌まわしい。コンラートはその苦々しい気持ちを断ち切るように奥歯をかみしめた。素早く彼のもとへと動いた時、少女の右脇腹から小さな光が星のように瞬いた。
 「陛下!」
 それは長い一瞬のように感じられた。もっと早く動けと足をせき立てる。コンラートは有利と少女の間に割り込むと、目標が狂った少女がバランスを崩した。その一瞬の隙に手刀を鋭く払って短剣をたたき落とす。鋼の高い音が床の上でシンバルのように鳴った。それを再び少女が取ることができないように、コンラートはドアの近くで呆然としているヴォルフラムの方へと蹴り捨てる。
 そこへ兵士が床に転がった少女を羽交い締めにして拘束したのを見届けると、コンラートは小さく息を吐いた。肩にまだ余計な力が入っている。手刀を放った右手には、まだ少女の手の感触が残っていた。それを振り切って振り振り返ると、床に尻餅を付いた魔王を王佐が抱きしめていた。
 「暗殺?オレってば暗殺されかけたの?」
 誰かに命を狙われることのない世界から来た少年が、驚きのあまり呆然としてギュンターに尋ねる。事態に取り乱したギュンターは恐ろしい形相になっていた。
 「極刑を以て償わなければなりますまい。打ち首獄門あるいは市中引き回しの上、火炙りに…」
 「ちょっと待て、時代劇でしか聞かないような罰は待てって!相手は小学生だぞ?!」
 どこまでも優しい「魔王」は、王佐の言葉を遮る。たしかに、相手はまだ幼い子どもだ。コンラートは振り返って、小さな暗殺者を見る。
 今回は防げた。だが次は?
 そう考えると、コンラートは短剣を叩き落とした手をぎゅっと握りしめた。
 「あいた」
 背中から小さな声がして、コンラートは振り返った。右足首を押さえて有利が座り込んでいる。すぐさま彼の傍に寄り、足首に触れると少し腫れ上がっているような気がした。
 「ああ、捻ったかな」
 運動することが大好きな少年なのに、これでは野球どころか走ることもままならない。息抜きのキャッチボールも辛いもしれないと思うとかわいそうだ。コンラートはそう思いながら、足が腫れ上がる前に靴を脱がせてすこしでも処置がしやすいようにする。
 「参ったな…軸足だよ」
 たしかに利き足だった。みるみる足は腫れて行き、細い足首がむくれたようになる。捻っただけならば、癒しの術と温泉にでも浸かれば早くて一ヶ月で元通りになるはずだ。念のためと思い、コンラート足の状態を触診で測る。
 「別にシーズン中ってわけでもないから、じっくり治しゃいいことなんだけどさ…いてツ」
 「すみません。捻挫だけかどうか確かめようと…」
 骨には異常がないようだった。ほっとしたところで、ギュンターが叫ぶ。
 「この国最高の名医を大至急王城に呼ぶのです!」
 最高の名医と言われても、とっさに判断などできるはずもない。コンラートはもっとも身近にいる「名医」の名を口にした。
 「ギーゼラを寄越すように言ってくれ。それと、その子には見張りをつけろ」
 兵士は一瞬だけ逡巡したが、すぐに駆けだした。
 「ほら、立て」
 背中から別の兵士の声が鋭く飛ぶと、有利ははっとしたようにコンラートの後ろを見つめた。なにかを言いかけようとして口が開いたが、それは言葉にならず視線だけが扉の方へと注がれる。
 「すぐに痛みはとれますから」
 その視線を断ち切るようにコンラートは思わず声をかけた。
 「あ…うん」
 彼がなにを思っているかなんて、聞かなくてもわかっていたけれど。
 コンラートは自分の右手を見つめながら、彼の求めているかもしれない言葉を飲み込んだ。



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